2015年12月22日火曜日

ThinkPad T430で Windows 7 から 10 にアップグレード

最近Windows 7機をWindows 10に更新する機会があったので自分用のメモ。

子供用に新たに中古のThinkPad T430を買った。子どもが乱暴に使うことを考えて、ハードディスクではなくてSSDにしたかったのと、アメリカではPC上で行う宿題も多いので、解像度は最低1600x900は譲れなかった。加えて、パスワード管理は子どもだと難しいので指紋認証、彼らの祖父母とのSkypeのためのWebカメラ。そのスペックだと新品は相当高額になるので、社員販売の中古。日本円で2-3万円というところ。

子どもたちの願いは、Minecraftというゲームをすること。最近、開発元がマイクロソフトに買収されたようなので、最新版のWindows 10で、最新版のMinecraftが動く必要がある。いろいろ試行錯誤の結果、下記が最善のルート。7から10への移行には落とし穴が多いので、移行前に全ディスクのイメージを作ることが非常に重要。

  • Windows 7のセットアップ
    すべてのハードウェアが動くことを確認した上で、Windows Updateで最新の状態にする。親(自分)の管理者アカウントを作る。子どものアカウントはまだ作らなくてもいい。
  • Microsoft Accountのセットアップ
    まだ持っていなければ、Microsoft accountを作る。子どものメールアドレスをGmailなりで作り、自分のMicrosoft Accountのページから、子どもを登録する。米国からは、子どものアカウントを作る際に「自分が親であることを証明」するためにクレジットカードが必要(意味がよくわからない)。50セント課金された
  • Windows 7 環境の保存
    外付けハードディスクに、リカバリ領域含めたディスク全体のイメージ(複製)をつくり、同時に起動ディスクも作る。
  • Windows 10への移行
    タスクトレイに現れるアイコンをクリックするだけ。
  • Windows 10の再インストール
    移行後、かならずいくつか問題が生じるので、Windows 10上のリカバリーのメニューから、クリーンインストールを実施。これにより、過去のWindows 7環境が完全に失われる。
  • Windows 10 環境の整備と保存
    まっさらになったWindows 10において、再度ディスク全体のイメージを作る。同時に、子どものアカウントを加える。自分がマイクロソフトアカウントでログインしておけば、子どもの名前は自動的にファミリーのメンバーとして出るので、子どもアカウントを加えるのは簡単。

はまったポイントは次の通りだ。7→10→7→10→7→10→10と、6回のOSインストールをする羽目になった。アカウントの扱いなど、説明が足りてないところはあるが、Windows 10はうわさどおり非常によくできたOSだと感じる。
  • Windows 10ではペアレンタルコントロールのために、子ども用のMicrosoftアカウントが必要で、なおかつ、認証は有料。
    • 自分の子どもであることをなぜお前に認証してもらわないとならないんだと腹を立て、一度Win 10を廃棄してWin 7に戻した。
  • Minecraft開発元はMicrosoftに買収された。今後のUpdateを思うとWindowsを最新版にしておかざるを得ない。
    • この理由のため、再度Win 10に移行。
  • UpgradeされたWindows 10において、ストアアプリが正常に動作しない。
    • ほとんどすべてのゲームは開いた瞬間に1秒ほど画面が出てすぐに落ちる。いくつかのアプリは開ける。挙動は予測できない。
    • キャッシュクリアなどのTipsが知られているが功を奏さず。
  • インストールに失敗した可能性を考えて、Win 7を介したWin 10の再インストールを決心。しかしUpgradeされたWindows 10では、ThinkPadの内蔵リカバリが見つからなくなくなっていた。
    • Windows 10自体を直接再インストールするのは避けた。なぜならそれをするとThinkPadに入っていたWindows 7を完全に失うので。
  • そこで、起動ディスク&外付けHDDに保存したイメージからWindows 7を再生しようとしたが、イメージが読めず立ち往生
    • USB 3.0(青い口)だと、どうやらUSBドライバが読めないとかの理由があるそうで、USB 2.0にHDDドライブをつなぐことで解決。
  • Win 7を介して10にしたが、ストアアプリの窓がクラッシュする問題は解決せず。そこで、Windows 10の機能を使い、クリーンインストールをすることにした。
    • これによりWindows 7は完全に失われる。ThinkPadに元々入っていたThinkVintage系のソフトもすべて失われる。
    • 指紋認証やWebカメラなど、HWのドライバも失われるので、これはリスクが高い行為。
  • 運を天に任せてクリーンインストールを実行、結果、問題が解決。少なくともストアアプリは問題なく動くし、指紋認証もうまく動く。

2015年11月29日日曜日

『オレたちバブル入行組』

今さら紹介するまでもなく、TVドラマ『半沢直樹』の原作。銀行支店長と結託したある会社の偽装倒産。半沢はその倒産に伴う融資の焦げ付きの責任を取らされそうになり、社内の理不尽と戦う。

著者は財務のビジネス書の著作もあるだけに、銀行の実務に詳しく、筋書きは非常によくできている。この小説の成功は話のリアリティによるところが大きい。実世界ではめったなことでは人は死なないし、職場で怒鳴り声を上げたり泣き喚いたりというのも日常の光景にはない。日々淡々と時は過ぎ、しかしその淡々とした現実の中に、実は無数のドラマが埋まっている。

客観的に見れば、焦げ付いた融資の処理は、銀行において無数にあるであろう淡々とした出来事のひとつである。淡々とした現実をただ淡々と受け流しているだけではドラマにならない。一方、作り事が作り事である限り、そこにドラマは生じない。逆説的であるが、基本的には作り事に他ならない小説がドラマになるのは、我々の何かの現実に肉薄した時である。いわば作り事から現実のドラマを生み出すのが芸術家の腕である。

さて、実は書きたいことはそれではなく、この小説の随所に現れる横並びの相対比較的価値観についてであった。小説の舞台となる銀行の中では、入社何年でどの役職にあり、どの程度の給料で、というような価値尺度が唯一無二のものとして確立している。価値尺度がひとつしかないがゆえに、同期入社の社員に明確な序列をつけることが可能である。同期入社の中での昇進の早さはほとんど人間の価値と同一である。その単線的ラットレースの最終地点に来るのが役員就任か出向かの分岐で、そのレースを支えるのは言うまでもなく年功序列の雇用制度である。専門性により自分を売る、というような「現代的な」勤務形態はどこにもなく、ひたすら社内政治の寝技で誰を蹴落とすか。市場の要請の優先順位は信じられないほど低い。

これは銀行において、果たして今でも通用する価値観なのだろうか。本書の続編というべき『ロスジェネの逆襲』においては、就職氷河期にかろうじて銀行子会社の証券会社に就職できた若者が出てくる。しかし変わったのは単に採用の門戸の狭さだけで、銀行内部の単線的価値観に変化がないように見える。言うまでもなく、子会社での採用はその時点で負け組である。 

江戸時代の身分制度でもあるまいし、そもそも親会社の頭取を筆頭にする単線的な価値の座標軸が存在していること自体が不合理である。資本関係において子会社であっても、会社に多大な利潤を与える社員は親会社の平凡な社員より高給で雇われてもよい。そのようないわゆる職務給の考え方は、必然的に、価値観の多様化をもたらす。誰が勝ち組で負け組かは、地位により決まるのではなく、本人のスキルの価値と、そのスキルと職務の適合度でおおむね決まる。性別や国籍、入社年度や年齢に関わらず、会社が必要としているスキルをより高いレベルで持つ人間が高給で遇される。これはある意味、古来人々が追求していた人道主義の理想であるとすら言える。否、人道主義かどうかはある意味どうでもよく、その価値観に基づく人事制度が、市場で生き残るための最適な人材活用施策となっているということの方が社会的には重要である。

銀行が市場の要求と必ずしも適合しない不合理な人事制度を堅持してきた背景には、護送船団方式と言われる非資本主義的な競争環境にあった。この小説が社会的大ヒットになった事実は、バブル経済の崩壊の後もなお、国際的市場競争のプレイヤーになれない企業や従業員が、この国にまだ途方もなく多く存在しているという悲しい現実を示している。

オレたちバブル入行組(文春文庫)

  • 池井戸 潤 (著) 
  • 文庫: 368ページ
  • 出版社: 文藝春秋
  • 言語: 日本語 
  • ISBN-10: 4167728028 
  • ISBN-13: 978-4167728021 
  • 発売日: 2007/12/6

2015年6月14日日曜日

ノートPCのHDDをSDDに換装(2015年版; Crucial MX200 500GB SATA 2.5 Inch)

仕事用のメインPC(ThinkPad W530)のHDDの遅さが耐えられなくってきたのでSSDに換装。前回の経験を元にスムースに終了。以下、自分用のメモ。今回使った MX200 500GB SATA 2.5 Inch はAmazon.comで200ドル程度。日本だと2万5000円というところらしい。

CrucialのSSDには、Acronis True Image HD 2014というソフトが付属するので、SSD到着後、手元にCD-Rがあれば3時間程度で環境の移行が終了する。

Crucial社による説明はこちら(英語)。英語を読まなくても、この動画を見ればソフトの使い方は大体把握できるはず。この動画は、PC本体に、SSDとHDDの双方を読み書き可能な状態で接続できる前提だが、会社のセキュリティ設定によっては、外部メディアへの書き出しができない場合が多いはず。その場合は、HDDのOSではなくて、起動ディスクでPCを起動させた状態でHDD→SSDのクローン作成を行う。それが下記の手順。
  1. Acronisの起動ディスクを作る
    1. Acronisを元のHDDのPCにインストールする。
    2. CD-Rを用意。Acronisを使い「ブータブルディスク」を作る(私の場合以前購入したAcronis True Image 2013を使用。付属のAcronis True Image HDでもディスク作成ができる、はず)。
  2. 前準備
    1. VPNや、ディスク暗号化、ウィルス検知ソフトなど、業務ソフトのインストーラーをあらかじめディスクに保存するかCD-Rに焼くなどしておく。
    2. 元のHDDでもし暗号化などの処理があるならば元に戻す。BIOSのパスワードなどもはずす。
    3. 特別な認証が必要なソフト、問題を引き起こしがちなセキュリティ系のソフトは差し支えない限り削除しておく。不要なファイルも削除して身軽に。
  3. HDDをSSDに入れ替える
    1. HDDをノートPCから外し、代わりにSSDを入れる。フォーマット不要。買ったままの状態で入れる。
    2. 外したHDDをUSBケースでPCにつないでおく。
  4. 先ほど作ったAcronisの起動ディスクで起動し、HDDの内容を丸ごとSSDに移す
    1. Acronisがディスクから起動したら、ディスクのクローンを選び、データの源をHDD、移動先をSSDにしてクローン開始。HDDの大きさと速さによるが、2時間くらいかかる。
    2. クローンが終わったら、HDDケースの接続を外し、ディスクも取り外す。
    3. 再起動。初回は不安定なので、2度ほどやるのがよい。
  5. 後処理
    1. 業務ソフト、セキュリティ系のソフトを順次再インストール。
    2. その他のソフト、たとえばMicrosoft Officeは何もしなくても動くはずなのでで確認。
    3. デフラグの停止などは好みで。

なお、言うまでもなくクローン作成とディスク内容のコピーは違う。PCの起動の際に読み込む特別な情報が書き込まれた部分をコピーしないといけない。これはOS起動後のファイルコピーではできない。

HDDが足を引っ張り、起動に10分もかかるWindows 7をはじめ、Evernoteや、Lotus Notesなど、ファイルへのアクセスが重いソフトウェアが耐え難く遅かったが、問題は完全に解決。



2015年6月7日日曜日

「切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか」

10年以上の長きにわたり数千人から2万人という規模の大規模人員削減を数次にわたり続けるソニー社内の、「キャリア開発室(またはキャリアデザイン室)」 に送り込まれた人たちへの取材録。

このいわばリストラ部屋に送られた当人の書いた本かと思いきや、元読売新聞の記者で今はジャーナリストということになっている清武英利という人が書いたものである。本書を読み終えて初めて気付いたが、この清武という人は、渡邉恒雄読売新聞社社長との社内での対立を、コンプライアンス違反だと記者会見で公表して大騒ぎになったいわゆる「清武の乱」という奇妙な事件の当事者なのであった。

ソニーについては、中年以上の日本人の多くは独特の感慨を持っているに違いない。かつてソニーは日本の先端性の象徴であった。世界の田舎者だと思っていた自分たちの国の企業が、世界のファッションをリードする製品を作り出しているというのは驚きであり、長い間ソニーは日本の誇りそのものであった。その革新性は、今のサムスンよりもはるかに深く米国人を魅了したはずだ。

ソニーのファンだったという米国人の経営者の話を聞いたことがある。ソニーのオーディオはよかった。Appleなんかよりずっと音がよかった。しかしiTunesから音楽を買うことにして以来、私はもうソニー製品は買っていない。ソニー製品はよかったが、ビジネスとして失敗したのは残念だった。私はソニーの失敗から学びたい。そう言っていた。

ソニーは確かに、日本経済の栄華と凋落の象徴である。そこに教訓はあってしかるべきである。本書の著者はおそらくそれを願ってもいるのだろう。本書には多数のリストラ対象者が掲載されているが、その「オチ」はほとんど常に同じである。出井社長になってから変質が始まった。昔のソニーは社員を大切にした。盛田氏は終身雇用を約束していた。今の経営者は自分は高給をもらっているくせに社員の首を切る、等々。要するに、ソニーの苦境は経営者の心がけの問題だというのである。

かつての大企業経営者はもっと謙虚で社員の苦痛にも敏感だったのではないか、と私は思う。人にはみな、他人の不幸や苦痛を見過ごしにできない本性があるという。そんな孟子の性善説を引き合いに出すまでもなく、少なくとも激しいリストラを実施するCEOが年に8億円以上の報酬を受け取ったり、無配に転落する会社の社長の年収が増えたりするようなことはなかった。それはソニーという理想工場の終焉を象徴する出来事である。(「あとがき」)

奇妙なことに、「あとがき」には、早期退職後も「幸せに生きている」と語る元社員が実に多いこと、「リストラ部屋」の住人までが共通してソニーへの愛情を語り、ほとんど愚痴らないことに驚いたと記されている。著者が言うとおり経営者による「人災」であるならば、そこに怨嗟の声を多く聞いてもよいはずである。

おそらく、大多数のソニー社員は、著者ほどナイーブではないのだと思う。技術者であればプロジェクトが経営判断で止められるのはよくある経験である。営業であれば、自分の売りやすかった商品が製造停止になったり、自分のお得意様への主力商品の取り扱いが終わったりすることもよくあることだ。総務や経理といった間接業務に従事する正社員であれば、たとえば中国に作業を移管した場合の人件費と自分たちの人件費を見比べて、定型業務の外部移管をやむをえない流れだと考えることもあろう。時代の流れと市場の様相、そして自分のスキルを見比べて、会社は永遠に自分を受け入れてくれる家族のようなものではないことを、自然に学んでいるに違いない。なぜ自分だけがリストラ部屋に送られるのか、という思いを持っていたとしても、それを部外者に語ってもどうなるものでもない。

著者は、自分の信ずる正義の信念と、そういう自然な諦念の現実との大いなる断絶に無自覚であるように見える。本書が、多彩な人間模様を描いているにもかかわらず、臨場感のない単調な繰り返しのような印象を与えるのはそのためだ。本書の中で著者が意図せず作り出した白けた空気は、ソニーの変質が少なくとも経営者の心がけだけの問題ではないことを示している。破壊的イノベーションに成功したこの企業が、変革企業の落とし穴(Innovator's dilemma)に嵌る中で生じた環境の変化こそが、誰しもやりたくてやっているわけではないリストラを余儀なくさせている原因である。

かつて「清武の乱」の時、社内の上位者の判断で自分がはしごを外されたことを、コンプライアンスの問題と言い募るこの著者の主張の理屈をよく理解できなかった。あまり興味もなかったので結論を出さぬまま忘れていたのだが、本書における著者の主観的正義感の空回りぶりを見ていると、そこで何があったのかはなんとなく想像できてしまう。市場や経営判断と無関係に、ひたすら経営者の心構えを念仏のように唱えても問題は解決しない。たとえば大規模人員削減をしなければ会社が存続できない瀬戸際に立ったとき、何も行動を起こさなければ会社は淘汰されるだけである。それを長期的視野に立った家族主義と言うのだろうか。話は逆だ。

この手の本を読むとつくづく思う。本来知識階級の代表として活動すべき新聞記者が、今や社会のお荷物、守旧派の代表となっているという悲しい現実を。日本の主要新聞社は、戦時中の新聞統合と、その後の占領軍による検閲の便宜から温存された寡占体制の中で、再販規制などの法的規制に守られながら超過利潤を手にしてきた。彼らが何と言おうとも、彼らは国家に寄生して生きる存在である。たとえそうだとしても、新聞記者個々人には、特にその官僚機構を飛び出したこの著者には、知性の翼でその限界を飛び越えてほしかった。残念ながら著者には、20世紀に全盛期を迎え、そして今世紀に消え行く運命である日本の大新聞の中で奇形的に肥大化した正義を相対化するだけの知性はなかったということであろう。残念である。


  • 清武 英利  (著)
  • 単行本: 274ページ
  • 出版社: 講談社 (2015/4/10)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4062194597
  • ISBN-13: 978-4062194594
  • 発売日: 2015/4/10
  • 商品パッケージの寸法: 19 x 13.2 x 2 cm

補足。本書は、先日読んだ『ドキュメント パナソニック人事抗争史』が割と読み応えあったので、うっかりアマゾンのおすすめに言われるがままに値段も見ずに買ってしまったものである。キンドル版と紙版で同価格、1728円もする。高い。間違いなく値段相応の価値はない。キンドル版だと古本屋に売ることも人にあげることもできない。半額にとは言わないが、相応に安くすべきだ。

2015年5月1日金曜日

「朝日新聞 世紀の大誤報: 慰安婦問題の深層」

うやむやにしておけばいいものを、何を思ったかいまさら誤報を認めて、再起不能になった朝日新聞の慰安婦報道の検証本。基本的にブログ記事を羅列した本で、事実が断片的に記されており読みにくいが、本件をある程度公平かつ広範に調査した本としては、おそらく本書が最善であろう。

いわゆる慰安婦問題について、事実関係について特に難しい点はない。1章にも一部まとめられているが、改めて要約しよう。
  • 1945年まで朝鮮は日本の一部。朝鮮は日本の交戦国ではないし、戦勝国でもない。
  • 自国民を戦争遂行のために動員する法律は1939年の国民徴用令に始まるが、もっぱら適用は日本国民。朝鮮人への適用が始まったのは1944年8月から。結果として、国民徴用令で動員されたのは日本人が616万人、朝鮮人が245人(245万人ではなく、文字通り二百四十五人)
  • 朝鮮人のプライドに配慮してか、日本政府は朝鮮人の直接の動員を徹底的に避け、民間の業者を通した自発的志願という形をとった。募集に応じた結果、終戦時までに32万人以上が労働に従事した。この中には女性はいない。「女子は徴用の対象としないという方針が決まっていたためだ」。
  • 法的強制力を伴う女性の動員は、1944年8月の女子挺身勤労令に基づく。この対象は日本人のみ。朝鮮人は対象外。なお、女性の動員はアメリカ、イギリスでも行われた。
  • 慰安所に来た娼婦は、民間業者の募集に応じたもので、多数の日本人女性に加えて朝鮮人女性も含まれるが、日本政府および日本軍が強制的に募集する方針を決めたという事実はない。
これらは明確な証拠があり、争う余地は少しもない。では朝日新聞の報道の内容は何か。
  • 1980年代に数回、吉田清治という小説家が書いた「日本軍が済州島で朝鮮人女性を誘拐して慰安婦にした」という内容の猟奇小説を、事実として報道した
  • 1991年8月11日に、次の内容の記事を植村隆記者が書いた。
    • 日本軍が女子挺身隊の名の下に朝鮮人女性を強制連行した
    • 彼女たちに売春行為をさせた
    • その証人が1人名乗り出た
    • 売春行為の報酬の一部が未払いなので日本国が賠償するよう訴訟を起こした
  • 1992年1月11日、宮沢首相の訪韓直前に、「軍慰安所従業婦等募集に関する件という陸軍省公文書を、朝鮮人女性強制連行の決定的スクープとして朝日が報道。しかもそれを「挺身隊の名で連行された」証拠だとした
明らかにこの報道は少なくとも日本側から見た史実と矛盾している。上記の通り、朝鮮では女性の徴用は少なくとも公式には存在しないし、挺身隊と慰安婦はまったく関係ない。92年に報道された公文書は、普通に読めば、単に、子女を騙して慰安婦にする悪徳業者を取り締まれという趣旨である。だから、上記の報道がもし真実であれば、それこそ世紀のスクープというべきである。

日本を代表するこの大新聞の強烈なキャンペーンの前に、日本政府も動揺した。奴隷狩りのような行為が「なかった」ことの証明は、いわゆる「悪魔の証明」である。まさか、意図的印象操作のために事実を捻じ曲げているとは想像もしなかったのだろう。やむなく宮沢首相は当時の韓国大統領に謝罪し、そして謝罪したがゆえに、それを既定事実として、その後日本は、女性に対する最悪の人権侵害の加害者として国際的非難にさらされることになるのである。


上のグラフは、本書で引用されている韓国内での慰安婦報道のデータである(ここにも同じデータがある)。それまで話題にすらならなかった日本軍関係の慰安婦問題が、1991年に始まる朝日新聞のキャンペーンにより猛烈な勢いで韓国に浸透したことが分かる。日本国に対して朝日新聞がなした罪は非常に重いのである。

この朝日のキャンペーンには答えられるべき疑問がいくつかある。ひとつは、1991年の報道で証人として挙げられた金学順という女性の証言を、誰がなぜ捻じ曲げて報じたかである。無垢なうら若き女性を日本軍が奴隷のように強制連行したかのように報じる朝日の記事に反し、当の韓国のメディアは1991年5月15日に次のように報じている
1991年5月15日「ハンギョレ新聞」では、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」という彼女の証言を報道している。
清田治史鈴木規雄ら朝日新聞の幹部と植村隆は、この経緯を知りながら、あえて(1)肉親により売春宿に売られたという事実を隠し、また、(2)女子挺身隊と慰安婦は無関係という事実を捻じ曲げ、国家政策としての徴用と慰安婦を結びつける報道を行った、というのが本書の批判のポイントのひとつである。

もうひとつの疑問は、宮沢首相の訪韓寸前に、このような情報操作を行った記事を、誰がなぜ出したかである。よく指摘されるのが、件の記事を書いた植村隆記者の義母梁順任が、太平洋戦争犠牲者遺族会なる賠償請求の当事者であったという事実である。しかし本書では、丹念な考察をもとに、もっとスケールの大きな、少なくとも朝日新聞幹部の清田治史鈴木規雄の合意のもとに進められた社を挙げてのキャンペーンと断じている。これが本書の最大の功績だ。単なる誤解と済ませられたかもしれない誤報を、20年以上にわたり、時に強弁しつつ隠蔽し続けてきたという事実は、確かにそのような事情を強く想像させる。さらに本書では、梁順任の人脈と、金丸信らの訪朝に絡む密約疑惑、さらに本件の裏でうごめいた高木健一ら日本人弁護士の発言から、著者は北朝鮮の浸透工作の存在の可能性を示唆している

最後の疑問は、なぜ今さら朝日新聞が報道の取り消しを行ったかである。そもそもが特定の政治的信念から「角度をつけて」なされた報道である。関係者一同、事実との齟齬は分かっていたはずだ。であるなら、そのままの姿勢で行くのが合理的であろう。なぜ方針転換を決めたのか。本書でそれは明確に説明されていないが、特に若年層における新聞の売り上げ低下と、入社希望者の激減に危機感を持っていたとの推測がなされている。

2014年に朝日は自社の報道を見直し、次のような趣旨の記事を書いた。
  • 吉田清治の「証言」は虚偽であり、報道を取り消す。
  • 女子挺身隊と慰安婦は無関係である。
当然である。だとしたら残る論点は何か。端的に言って何もない。日本軍がやったことは、どう過大に見積もっても韓国軍が1970年前後にベトナム戦争でやったことと同程度か、おそらくそれよりはましだ軍が慰安所を設置し、民間業者に運営させた。応募してきた慰安婦は、売春行為に基づき報酬を得た。軍が売春に加担していたという歴史は日本の恥部であるが、第2次大戦当時の世界において、それを非難できる国はどこにもないのである。当の韓国にしても、ハンギョレ新聞が引用するとおり
朴槿恵大統領が慰安婦問題を内政と外交の道具としてでなく、真に人権問題として考えるならば(中略)韓国人慰安婦女性たちの事例と同様に(この懸案に対しても)率先して調査するだろう。そうでないならば(韓国は)自身に不利な事実には目を瞑り歴史を直視しない国家だということを国際社会に自ら証明することになるだろう
という批判は「腹立たしくはあるが反論しにくい主張」として受け止めねばならないはずだ。

管理売春という行為自体、人道にもとる行為であることは確かだ。しかしかつて米国で奴隷制が合法であったのと同様、当時は管理売春も合法であった。日本政府は、いわば軍事作戦の一部として慰安所を設置したことに人道的見地から謝罪をしており、非公式に賠償までしている。韓国に関しては、交戦国ではない韓国には本来戦争賠償の必要はないにも関わらず、韓国の国家予算の3倍にも上る巨額の資金を提供することで、「韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化が合意されている。それ以上日本政府は何をすればいいのか、という著者の疑問は正しい。

言い値で認められれば1兆円にものぼるであろう巨額の賠償を、自国政府から特定国に支払わせるために暗躍した清田治史鈴木規雄植村隆らの朝日新聞の面々と高木健一福島瑞穂戸塚悦朗らの弁護士。清田と鈴木は素朴な正義感から、植村・高木・福島は多少の正義感とおそらくは金銭的私欲からそれを画策し、上のグラフに示すとおり、日韓関係を破壊したばかりか、日本国民の対外的イメージを著しく下げた。

今になってはっきりしたことは、慰安婦をめぐるこの騒動により、日本国が傷ついたのと同じくらい、あるいはそれよりももっと深く、これらの人々も傷ついたということである。この虚偽報道で誰か得をした日本人はいただろうか。おそらくいない。自国を外国に売り渡す行為は、自国で生き続けることを前提にする場合、決して合理的ではありえないのだ。20世紀の日本の知識人の混乱を象徴する本当に悲しい、悲しいエピソードである。


  • 池田 信夫 (著)
  • 新書: 200ページ
  • 出版社: アスペクト (2014/11/20)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4757223803
  • ISBN-13: 978-4757223806
  • 発売日: 2014/11/20
  • 商品パッケージの寸法: 17.4 x 11 x 1.8 cm

「戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか」

表題の通り、現在でも新聞やテレビで力を持つ左翼人たちの限界を書いた本。著者のブログ記事の散漫な羅列であり、本自体の完成度は低い。著者のブログ、特に書名と同じこれを読めば十分である。

ただ、元左翼でNHK記者となり、取材の中で具体的な事実を知ることで左翼の敗北を悟った著者の軌跡はある程度興味深い。その観点で見れば、慰安婦問題、集団的自衛権、秘密保護法、原発、雇用制度改革、など個々の話題について、伝統的な左翼の問題設定がいかに非合理かを指摘する彼の分析は一般にはそれなりに意義もあろう。

はっきり言って私自身、これら個々の話題について取り立てて感想は浮かばない。あまりにも自明な問題に思えるし、本書エピローグにまとめられている通り、本来争点にすらならい問題だからだ。
今の日本で重要な政治的争点は、老人と若者、あるいは都市と地方といった負担の分配であり、問題は「大きな政府か小さな政府か」である。(「エピローグ」) 
このようなことは少しのデータを見るだけで自明だ。しかしマスメディアで今でもほとんどすべてのスペースを占めるのは、要するに大昔から左翼が好んだ問題設定に基づく反政府的報道である。

例えば、自国民が拉致され、自国の国土が侵攻を受けたり(竹島、北方領土)、挑発を受けたりしているのに(尖閣諸島)、また、度重なる国家テロを反復している国家が隣にあるのに(大韓航空機爆破事件ラングーン廟爆破事件青瓦台襲撃事件、朝鮮戦争)、軍事的手段の準備と行使それ自体を問題にするのは不思議としか言いようがない。「彼らは反戦・平和を至上目的とし、戦争について考えないことが平和を守ることだという錯覚が戦後70年、続いてきた」。左翼の空想的平和主義はまるで、いつか白馬の王子様が迎えに来てくれると信じる少女のようで、現実味のなさは病的ですらある。

あまりにばかばかしいので本書では触れられてもいないが、日の丸・君が代反対運動というのも不思議だ。義務教育は義務であり権利ではない。義務を強制するのは国家である。多大なコストを投下してそれを実行するのは、究極的には、強い国を作るために他ならない。税金を使い運営を付託されている国家の立場から言えば、日本国のために忠誠を誓う人材を作るのは当然の目的といわざるを得ない。

日本国のために忠誠!おそらく左翼はここで絶叫するのだろうが、少し調べればいい。アメリカの公立小学校では、全員「忠誠の誓い」というのを暗唱させられる。それはある意味教育勅語のようである。国旗は校内いたるところにあり、あらゆる行事において国旗に敬意を表することを求められる。税金で運営されている学校としてこれは当然だろう。アメリカのような多民族国家では、合衆国とその象徴である国旗に忠誠を誓う限りにおいて、文化的多様性が許容される。無条件に、国内で民族の独自性が認められているわけではないのである。

しかしなぜか左翼はこういう事実を受け入れようとせず、空想的なコスモポリタニズムを繰り返すのみだ。これは何なのか。

著者はそれを、左翼が、万年野党であることを職業として追求しているためだと言う。つまりあえて責任を取らぬ外野という身分に自分を置くことで、理想主義者の芝居をしているだけだと。私は芝居ですらないと思う。あらゆる集団において、そういう「結果責任を取らない人たち」というのは出てくる。会社であれば新入社員や「腰掛OL」は経営の責任を負わない。家庭では専業主婦は収入を得る責任を負わない。社会では公務員は国際的市場競争の責任を負わない。国会であれば長い間野党は万年野党で、政策の責任を負わなかった。言ってみれば彼らは、現実に起こること責任を取らない(取りようがない)占い師のようなもので、だとしたらわざわざ現実の厳しさに目を向けるような面倒なことをせずに、願望と空想に基づいて好き放題にしゃべるのがある意味合理的だ。

それ自体は別にかまわない。日本の悲劇は、「東大法学部から朝日新聞に至る日本の知的エリート」が、そういう占い師同様の行動をとり、それが日本の針路に影響を及ぼしてきたということである。彼らの多くは弁護士や新聞社のような規制業種か、大学教授のような(ほぼ)公務員である。国家に寄生しながら、国家の経営に星占い程度の提言しかできない彼らの知的怠惰は、救いがたい。

左翼が社会を変えられなかったのか、という問いは、なぜ星占いが当たらなかったのか、という問いとほとんど違わない。

それだけの話だ。


  • 池田 信夫  (著)
  • 新書: 212ページ
  • 出版社: PHP研究所 (2015/4/16)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4569825117
  • ISBN-13: 978-4569825113
  • 発売日: 2015/4/16
  • 商品パッケージの寸法: 17 x 10.6 x 1.4 cm
  • おすすめ度:  5つ星のうち 4.6  レビューをすべて見る (9件のカスタマーレビュー)

2015年4月25日土曜日

「ドキュメント パナソニック人事抗争史」

パナソニックの停滞を人事抗争史の観点から論じた本。ほとんどの登場人物が実名で出てくる。さすがに直近のリーダーには否定的なことを書けないようだが、たとえば低迷の主犯の一人とされている森下洋一現相談役などは実名だ。著者は綿密に取材をしたという自負があるのだろうが、よくこんな本を出せたなと驚きを隠せない。同社に縁もゆかりもない私から見ても非常に興味深く、当然関係者には刺激的すぎる本であるに違いない。

パナソニックについて「おや?」と思ったのは2000年代の半ばに、不可思議な製品をいくつか発表しはじめてからだ。美容製品の一部はどうもオカルトまがいであったし、特に印象に残るのは2008年に発表した「持ち運びハンドルつきノートPC」だ。私を含むLet's Noteファンに異様な印象を与えたこの製品は、ほとんど一瞬で市場から消えた。2000年代の終わりには、幹部社員が新事業の提案をするよう強い圧力を受けているといううわさを聞いた。全体的に、どうも進むべき方針を見失っているように見えた。上位マネジメントは方針を示せず、しかし業績は上がらない。そのため非常に強い圧迫を下位のマネジメントに与えている。敗戦間近の日本軍のように、勇ましい提案が過剰に重視され、リスク管理や中長期的な戦略は二の次になっている ── これが傍観者の感想であった。いくつものパナソニック製品を愛用してだけに残念であった。

これが正しい観察だったのかは分からない。しかし本書によれば、その頃は確かにパナソニックの社内は混乱をきたしていたようだ。本書の筋は冒頭の「まえがき」にまとめられている。パナソニックの停滞の根本的な原因は創業者一族とそれ以外との確執にある。近代的経営の必要性を認識していた創業者松下幸之助は、1977年に改革のために末席役員の山下俊彦を社長に抜擢する。近代的経営ということは創業家の権限縮小を含む。しかし山下の改革を過度に急進的と感じた幸之助含む松下一族からの巻き返しにあい、創業者側、従って保守的な現状維持勢力が結果として長期政権を築く。パナソニックには非常に優れた人材がいたが、市場ではなく社内政治を優先する風土ができてしまったようだ。その結果として業績が危機的になった2000年の時点で、中村邦夫が社長になり、社内の組織改革と人員削減を進める。これによりいったんは業績は回復するものの、結局中村の挙げた成果はそこまでで、彼の強権的な運営手法は社内の混乱を招き、今ではパナソニックの経営危機の主犯とする声が大きい。仮に本書で書かれているような「恐怖政治」という形容が本当ならば、私が聞いたパナソニック社員の切羽詰った振る舞いも、なんとなく腑に落ちるような気がする。

本書は、2012年に社長に就任した津賀一宏が混乱に終止符を打ったというトーンで終わっている。インタビューを読む限り著者の期待は正しいように思える。最近の大塚家具の騒動を引くまでもなく、創業家と経営の関係は難しい。本書を読んで分かったのは、経営が混乱していた時期ですら、社内には人材も技術も存在したという事実だ。人材の幅でも技術の質でも、パナソニックは世界最高の企業のひとつだろう。イノベーションのジレンマにとらわれることなく、新社長の下で、ぜひ世界で再び羽ばたいてもらいたい。


  • 岩瀬 達哉 
  • 単行本(ソフトカバー): 242ページ
  • 出版社: 講談社 (2015/4/2)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4062194708
  • ISBN-13: 978-4062194709
  • 発売日: 2015/4/2
  • 商品パッケージの寸法: 18.8 x 13 x 2.2 cm

2015年2月8日日曜日

「伽藍とバザール」

オープンソース開発への賛歌

伽藍とバザール」は、ソフトウェア開発における中央集権的手法と、「民主的」なオープンソースによる自発的改良を対比させて論じた有名な論文である。前者が伽藍、後者がバザールに例えられた。要するにWindowsに対するLinuxの優位性を主張したものとみなしてよい。この論文が発表された1997年は、Windows 95が発売されて間もない頃である。Windowsにも不具合が多くあった。定期的にPCを再起動しないと次第に挙動不審に陥るというのはよく知られた事実で、その点、(何だかんだ言っても結局)コマンドラインでの操作を基本とするLinuxの安定性が勝っていたのは確かである。しかもLinuxの配布パッケージのほとんどは、それまでに蓄積された膨大なオープンソースのソフトウェアを最初から含んでいたから、ソフトウェアの品揃えの豊富さの観点でも魅力的だった。

天才の書いたソフトウェア

Latexも、ほとんどのLinuxの配布パッケージに含まれていたソフトウェアである。Latex(ラテック)は、理工系で大学院まで進んだ人なら誰でも知っている組版ソフトウェアだ。当時も今も、論文を書いて投稿するための必須ツールである。組版というのは印刷用語で、論文(または本)の見栄えを、そのまま印刷して出版できるように整えることを指す。昔は、原稿用紙に手書きで書かれた原稿を元に必要な活字を探し、活字を集めてひとそろえにして、ページごとにどの部分を字にしてどの部分を図にするかなどを人手で決めていた。それは何人もの職人が必要な作業であり、出版社と、出版技術を内製化した新聞社が情報発信の権利をいわば独占してきたこともうなづけることだ。

しかし複数の人の手を経る分、そこに間違いの混入を避けることはできない。複雑な数式の組版は特に難しい。誤植の可能性もさることながら、数式の記号の間隔などの微調整は、著者以外では理解するのが難しい。Latexは、その手間を嫌ったドナルド・クヌースというアルゴリズム研究の大家が余暇を使って(!)開発したものである。

Latexがあれば、著者の側で原稿書きから、印刷前の最終工程である組版まで一気に作業ができる。Latexの規約に従い適当なエディタで原稿を書いて、Latexを使ってポストスクリプトという形式に原稿を変換する。ポストスクリプトはpdfの前身となった電子ドキュメントの形式である。現代のpdf同様、組版まで著者側でやられていれば、後は単に印刷をして製本するという単純作業が残るだけである。

市民革命としてのLatex

「伽藍とバザール」で非難されたマイクロソフトも、ワードというソフトウェアで、そのまま印刷できる質の文書を作ることができると宣伝していた。Latexのように手打ちでコマンドを入れるより敷居が低いのは確かだが、図を入れる際の柔軟性、章・文献・図番号などの参照機能の不安定さなど非常に問題が多く、学術出版にはまったく適さなかった。数式を含む論文を組版するのはWebページを作るよりはるかに難しい。HTMLの手組みを追放するようなわけには行かなかったのである。

大げさに言えば、Latexは、情報発信を市井の人々の側に取り戻すいわば革命運動という側面を持っていた。Linuxも同様である。独裁国家マイクロソフトに対応する、市民からなる義勇軍。知的創造の成果は誰にでも無償で開放される。私企業の欲望に基づく独占も秘匿もそこにはない。1990年代の後半、ソフトウェアの質でも幅でも、LinuxはWidowsをしのいでいると思われた。Latexで組版された文書の美しさは驚異的で、最初に自分の論文をLatexで印刷してみたとき、その美しさにしばし恍惚となったものである。ワードに対するLatexの圧倒的な優位性は明らかだった。アカデミアでは人々は、義勇軍による独裁国家の打倒を心から願ったものである。

20年後の風景

前置きが長くなった。語りたかったことは、エリック・レイモンドが理想の情熱に燃えて表記の論文を書いた時から18年経った今、われわれが何を見ているかである。

一昨年、PC環境を変える必要に迫られ、Widows上でのLatex環境を新しくした。Windowsで日本語対応のLatex環境を作るにはw32texというページから必要な実行形式をダウンロードすればよい。それを自動化したインストーラーも作られている。秀丸という軽快なテキストエディタ用のマクロもある。これらが無料で使えるというのはありがたい限りだ(秀丸は有償)。しかし2013年にダウンロードしたw32texから、図を含んだ原稿がうまく組版できなくなった。私はその頃、日本語で本を書き始めていたから、これは大問題だった。

合計するとおそらく丸一週間くらいかけて、日本語と英語のあらゆるページを調べたが、結局問題は解決できなかった。同様な問題は報告されていたのだが、玄人と目される人たちのページには解決策がなかった。玄人風のコメントを書く人々も、実は隅から隅までわかっている人はほとんどおらず、dvioutの開発者である大島氏とかw32texの管理者である角藤氏、あるいは祝鳥開発者の阿部氏といった一部のスーパースターを除けば、ちょっとやってできたことを自慢げに一般化して書いているだけで、「理解する」ということについての知的な基準が相当低いのだろうと感じざるを得なかった。

革命成らず

そして思った。これは20年前とまったく同じだと。特定の環境、たとえば、英語「だけ」しか使わない前提で作られた配布パッケージの、想定の中「だけ」で原稿を書く場合ならいいが、日本語を使ったり、非標準的なことをやろうとすると途端に問題にぶつかり、ソースコードを読むような趣味人は別として、一般人には問題を解決する手段もない。ワードがLatexをいまだに超えられてないのは確かだが、Latexにしてももともとのクヌースの天才に依拠しているだけだとも言える。

エリック・レイモンドは、伽藍には独占と不自由を、バザールには多様性と自由を見た。しかし皮肉なことに、この20年間で「バザール」側が生み出したものは、ヘレンフォークの世界における利便性と、それに同化できぬ日本のような国における大いなる停滞であった。私はむしろ「伽藍」の側に、多様性を保証するための精緻な配慮を見る。外国で買ったWindows PhoneやiPhoneにおいて、日本語化などは数秒の作業でしかない。かつて『伽藍とバザール』に知的興奮を覚えた者としてあえて言おう。20年前と同じ不便を利用者に強いるのは開発側の傲慢だ。それが無料奉仕の作業である以上、それはやむを得ないかもしれない。しかし少なくとも、伽藍に対する優位性を主張した最初の理想は完全に敗北したと言ってよい。



付録: Windows 7環境でのLatexの設定

その後1年半たち、当時の問題に立ち返る機会があった。Widows 7 64bit English(で日本語を使えるように設定した)環境の前提であるが、結論から言えば次の通りになる。

  1. 日本語を使って図を入れた原稿を作る場合、w32tex環境をインストール、秀丸+祝鳥で原稿を書き、EPSで図を作成、グラフィックドライバの指定を明示的に行った上でdvi出力、dvioutでプレビュー、最後に dvipdfmx でpdfに変換、という手順がほぼ唯一の選択肢。
    1. dvioutには問題がある。うまく行くかは運次第。だましだまし使うしかない。下記参照。
    2. グラフィックドライバについては下記参照。
    3. EPSでの図の作成は、R (またはRStudio)等のEPSを標準で出力できる環境で図を描くことになる。説明図などは、EPSエクスポート可能でWindows上で動くドロー系のソフトを手に入れるしかない(InkScapeなど)。
    4. 業務上おそらく使っているであろうPowerPointの図の流用をしたい場合は頭が痛い。Windows 7までは wmf2eps で変換可能であるが、Windows 8ではwmf2epsが動かないので、EPSを出力する手段は乏しい。PowerPoint 2010を使い、1ページにひとつ図を描いてpdfで出力、という方法になろう。
  2. 英語の原稿を書く場合、MikTexをインストール、Texworksなり秀丸なり任意のエディタで原稿執筆、pdfで図を作成、pdflatexによりpdfプレビュー。
    1. ACMのスタイルファイルとw32texは相性問題がある。運がよければ動くようだが私の環境ではフォント問題が生じてまともに動かなかった。
    2. 図はepsでもかまわないが、直接pdfにするのがよい。
    3. 図の余白切り取りに関する日本語の解説は不可解なものが多いが、下記のように実行できる。
※付記。pdflatexで作ったpdfは、IEEEのPDF eXpressのフォントチェックが通らない場合に対策の余地が限られるのでやめたほうがいい。pdfの図はPDF eXpressでのpdf生成ができない。また、dviを生成しないとPDF eXpressに渡せない。結局、図はepsで用意、\usepackage[dvips]{graphicx}を指定してdviを生成するしかなさそうだ。この場合、私の環境では、dviの図がずれてまともにプレビューができないが、psファイルは正しく生成されるので、PDF eXpressに送ると正しいpdfを得られる。 

日本語を使いたい場合課題山積で、Latexは一般人が使える状態にないといわざるを得ない。こちらの方が言うとおり、インストール自体が趣味な人は別として、99%の人には、インストールされた道具を使って行う仕事が問題なのだ。インストールだけにこれだけの労力を使わないとならない道具は道具として失格だろう。にもかかわらずあたかもLatexに問題がないように言い募る輩は、他人を陥れることをなんとも思わぬ人間か、単に頭が悪いだけろう。

詳細を書いておく。

  • 図の出力に関するいくつかのパッケージには、暗にグラフィックドライバに依存性を持つものがある。長らく日本語環境でのpdf生成に推奨されてきたdvipdfmx(dviをpdfに変換するプログラム)、colorがそれである。
  • そのようなものは、冒頭部にある \usepackage{graphicx} を削除して usepackage[dvipdfmx]{graphicx} と、ドライバを明示的に指定して書く必要がある。colorも同様。
    • 複数のパッケージにドライバ依存性があるが詳細が不明なときは、冒頭の\documentclssに、\documentclass[xxx,xxx,dvipdfmx]{xxx} のような形で、入れるのが安全。その場合、ただしこれによりdvipdfmxは動くが今度はdviファイルに異常が出る、ということがある。
    • なお、 dvioutを使う場合、\usepackage[dviout]{graphicx} を指定する流派もあるらしい。
  • 最近世界標準になりつつあるTexworksというエディタ兼コンパイル環境は日本語の扱いに難がある。文字コードをひとつ固定しないとならないが、うっかり別のエンコーディングがされたファイルを開くと中身が壊れ、コンパイルが通らなくなる。たとえばbibファイルに日本語文献をうっかり混ぜてしまった場合など。エンコーディングの自動判別機能が優れた秀丸がよい。
  • 長らく標準的なプレビューアーとして君臨してきたdvioutは今や非推奨。実際、w32tex環境だとフォントに問題が生じた。回避策はこちらの通り、TEXMFMAINという環境変数を設定すること。c:\usr\local\share\texmf-dist のように。
  • 日本語を使わない場合、図をpdfで用意した上でpdflatexでtex元原稿から直接pdfを生成するのが速い。しかし残念ながら、pdflatexは標準では日本語が使えない。回避策もあるようだが一般人向けではない。
  • しかし英語だけでも、w32tex環境でのコンパイルには難がある(執筆時点・私の環境では)。計算機科学の分野の最大の学会であるACMのLatexフォーマット(sig-alternate.cls および acm_proc_article-sp.cls )では正しくフォントが表示できない。ベクターフォントにならずビットマップのぎざぎざフォントになる、\textit等のコマンドが無視されるなどの問題がある。投稿できる品質ではなく、これは深刻な問題。
  • 英語だけしか使わない場合、w32tex環境とは別に、MikTexを丸ごと導入し、Texworksでコンパイルすることで、sig-alternate.cls および acm_proc_article-sp.cls の問題が回避される。
    • TexLiveは試していないが、MikTex同様動作する可能性が高い。
  • 上記のように、ドライバを明示的に指定すれば、日本語・EPS図貼り込みの原稿であっても、dviを経由してpdfに正しく変換できるが、当然ながら遅い。
  • したがって、数10ページを超えるような原稿のプレビューには現実的ではない。pdflatexが日本語非対応である以上、現時点で最善のプレビューの方法はdviしかない。そして、日本語対応を考えると dvioutしか選択肢がない。
  • \usepackage{graphicx}により、EPS、PNGなどに加えてpdfの図を読めるようになる。ただし、余白の扱いがEPSとpdfでは違う。書式はここにあるとおり、次のようになる。trimは左から反時計回りに、左、下、右、上で指定。余白を除去したいときはclipをつけるのを忘れずに。
    • \includegraphics[trim = 10mm 80mm 20mm 5mm, clip, width=3cm]{chick}
  • なお、英語環境でpdflatexを使う場合、図がEPSであってもかまわない。初回実行時に(\usepackage{epstopdf}があれば?)pdfに変換される。