2012年2月5日日曜日

「オールコックの江戸―初代英国公使が見た幕末日本」

英国の初代駐日公使ラザフォード・オールコックの日本での足跡を追った本。本国から隔絶された未知の島国に足を踏み入れ、日本の芸術作品の完成度への感動、開港を先延ばししようとする幕府との葛藤など、正負を激しく行きつ戻りつしながら、日本国史上初の遣欧使節団を成功裏に送り出すまでのオールコックの足跡が、一次資料をふんだんに用いて緻密に描かれる。その緻密ぶりはほとんど実験科学を思わせる恐るべきもので、しかし史料の羅列に堕しない著者の筆力はすばらしい。新書版にしては珍しく、日本の内と外という2つの視線の交差するところで仕事をしたい、という著者本人の思い入れが脱色されることなくたっぷり記されており、一読者としてはきわめて印象に残る本となっている。

オールコックにしてみれば、史上初めて女王陛下の国を訪れた「大君の都」の使者たちは、いわば彼の作品であった。一行は、旅程の最後に、ロンドンで行われた第2回ロンドン万国博覧会へ参加する。
サウス・ケンジントンの万博会場では、11月の会期終了まで、オールコックの送った日本の品物が評判を集め続けた。オールコックがこの仕事をきっかけに、現在に至るまで、ジャポニスムの祖としてヨーロッパの美術界に ── 彼が外交官であったことを知らなかった人の間にさえも ── 名をとどめていることを思えば、その注目度は十分に想像できよう。(p.240)

日英修好通商条約の履行をめぐるオールコックと幕府との、そして攘夷派との緊張関係を丹念に追いつつも、著者は時折、万国博覧会のその会場で、ヨーロッパの人々がいかに興味津々で日本のすばらしい漆器や織物を眺めていたのか、ありありと想像していたのであろう。異なる文化の出会うところではいつでも、人間の心に何かが生まれる。異質のものを互いに斥けあうばかりでなく、時に、文化や距離の相違を飛び越えて、いとおしい何かの感情を共有できるのである。これはほとんど奇跡的なことである。そういう、陳腐な言葉であえて言ってしまえば人間一般に対する愛のようなものが、史料研究の行間から隠しようもなくにじみ出ており、本書の読後感はこの上なくよい。

この、日本文化が西洋と初めて出会った物語は、残念ながら少なくとも短期的にはハッピーエンドにはならなかった。オールコックの在任期間は幕末期、攘夷と開国で揺れながら江戸幕府が崩壊に向かう過程そのものであった。遣欧使節団が帰国したのは、攘夷の機運が極大化した頃であり、使節団の居場所は日本にはもはやなかったのである。

本書のクライマックスとなるロンドン万博の1862年という年から、もう150年が経過している。その後日本は、幾多の世界史的事件を経験した。国際的な交流の量は当時とは比較しようもない。しかし今もなお我々は、外から我々を見る視線と、自分を見る視線の間のギャップに戸惑っているように見える。異文化の狭間で我々はどうあるべきなのか。それを考える上で、本書が丹念に追った幕末期の出来事と、本書の著者のスタンスは、非常に示唆的であるように思われる。


オールコックの江戸―初代英国公使が見た幕末日本 (中公新書)

  • 佐野 真由子 (著)
  • 新書: 283ページ
  • 出版社: 中央公論新社 (2003/08)
  • ISBN-10: 4121017102
  • ISBN-13: 978-4121017109
  • 発売日: 2003/08
  • 商品の寸法: 17.5 x 11 x 2 cm