2012年5月10日木曜日

「反原発」不都合な真実


すべての経済活動の基盤にはエネルギーがある以上、エネルギー問題はまずは経済問題である。エネルギーを作らない(発電しない)という選択肢はない。それは窮乏への道だからだ。

実際、反原発を主張する人々にも、原始的な山村生活を是としている人は少数だろう。圧倒的多数は、ペットボトルに入ったきれいな水を飲み(言うまでもなくペットボトルの生産には化石燃料を大量に消費する)、インターネットを楽しみ(インターネットを維持するためには莫大なお金をかけて海底ケーブルやルーターその他のインフラを持ち続ける必要がある)、夏には冷蔵庫に入った冷たい麦茶でも飲むことを前提に、おそらくは素朴な善意から、原発がなしですむものならその方がよいと考えているはずだ。「子どもたちの未来が!」と叫ぶ反原発の母親も、原発を廃棄した結果、電気代が2倍になったり、化石燃料の消費により温暖化がさらに進んだり、夏に停電になり冷房がきかず、それこそ赤ん坊と一緒に摂氏35度の灼熱の中で右往左往する現場など、想像しているわけではあるまい。

であるならば、仮にエネルギー問題が環境問題として語られる必要があったとしても、それは損と得の間のバランスから議論されるべきだ。

本書は、経済問題としてのエネルギー問題という立場から、原発がない世界がどういうものかを定量的かつ実証的に議論した本である。本書の多くの内容、特に、原発がつい最近までは環境問題のいわば切り札というような扱いをされていたこと、再生可能エネルギーのほとんどが到底原発の置換になりえず、むしろ送電網を不安定化させうること、などは普通の教養のある人なら知っていたことだろう。

私を含めて最も欠けていたのは、おそらく、放射線による健康被害の知識だろう。とりわけ、今回問題になるのはいわゆる低線量被爆と言われる100mSv以下の被爆である。これについては2つの考え方がある。
  • 人間の細胞には修復機能がある。そのため、少量の被爆には健康被害はない
  • いかなる低線量でも被爆は有害であり、有害と無害を区別する境目の値はない
後者を閾値なし仮説(LNT仮説: Linear Non-Threshold model)と呼び、国際放射線防護委員会(ICRP, International Commission on Radiation Protection)という団体が採用している考え方である。低線量被爆による人体の健康被害については信頼しうるデータは現時点でも存在しない(むしろ無害であるというデータは数多くある)が、
経験的に低線量は無害だと思っていた多くの医学者の反対を押し切って、ショウジョウバエにX線を宛てる研究をしていた遺伝学者の意見を採用し、低放射線の安全基準値をこの閾値のない比例モデルを使って決めることにした(p.53)
とのことである。ICRPは単なる民間の学術団体であるが、半世紀以上前から世界保健機構の諮問機関として勧告を出すなど、権威ある組織として国際的に認知されている。日本の放射線防護基準もICRP勧告を基本としている(三省堂 大辞林による)。

本書の主題のひとつはこのICRPモデルの妥当性である。これは、(1)人体の修復機能をあえて軽視している、(2)他のリスク要因との比較を無視している、という2つの意味で非常に厳格な、安全側に振った考え方だといえるだろう。今のところ、放射線の健康被害についての最も信頼しうるデータは広島と長崎の被爆者のデータである。これによれば、腫瘍にしても白血病にしても、被爆量100mSv以下のリスクはばらつきが多く、有害なのか有益なのか直ちに結論が出ない。下記に、白血病についての疫学研究のデータをこの論文*から引いておこう。右のグラフが500mSv以下のデータである。非常にばらつきが多く、被爆したほうががんになりにくいという結論すら導けることがわかる。しかし100mSv(0.1Sv)以下では、特段の危険は読み取れないことがわかる。しかもこれは一気に短時間で、おそらくは生体の修復能力をはるかに超えた速度で放射線を受けた場合のデータである。客観的に見て、100mSv程度では、被爆の健康被害は仮にあったとしても軽微で、他のリスク要因に埋もれてしまうだろう。

* Preston DL, Pierce DA, Shimizu Y, Cullings HM, Fujita S, Funamoto S, Kodama K.
Effect of recent changes in atomic bomb survivor dosimetry on cancer mortality
risk estimates. Radiat Res. 2004 Oct;162(4):377-89.

では「他のリスク要因」と比べてどうなのか。本書では、タバコや、火力発電による大気汚染による健康被害など、広汎な例を挙げて、原発による健康被害のリスクが非常に小さいことを論証する。しかも、原発の廃止には、大気汚染リスクに加えて、年間4兆円という莫大な追加の燃料代がかかる(p.118)。

まとめると、現時点での結論は、
  1. 放射線医学のデータを普通に眺める限り、合計100mSv以下の被爆に害はない。あったとしても、運動不足とか野菜不足よりはるかに小さいリスクである。恐れる必要はない。
  2. 原発の廃止に合理性はない。追加の燃料代4兆円は国富の流出を意味する上、国際政治上日本の地位を危ういものにする。
ということだ。リスクゼロを求める「庶民」の思いもわからなくないが、会社で労働者の給与を無制限に上げられないのと同様、リスクゼロのために無制限のコストをかけることはできない。


「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)
  • 藤沢 数希 (著)
  • 単行本: 208ページ
  • 出版社: 新潮社 (2012/2/17)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4106104571
  • ISBN-13: 978-4106104572
  • 発売日: 2012/2/17
  • 商品の寸法: 17.2 x 11 x 1.4 cm

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