2011年11月30日水曜日

「元禄御畳奉行の日記」

元禄から享保の時代に、延々26年以上にわたって書き続けられた下級尾張藩士の日記を解説した本。作者の朝日文左衛門重章は稀代のメモ魔でゴシップ好き、加えて酒好き・芝居好き・女好き、それに加えて、生類憐れみの令を小ばかにして「殺生」に行くと称して魚釣りに行ってみたりと、へらへら楽しく生活している。その姿は、テレビドラマの軽めの時代劇とまあ大差なく、時代を遡るほど人権が抑圧されていたという、よくある左翼史観がいかに狭量かわかる。むしろ、最近ではよく知られていることではあるが、元禄の世、庶民の恋愛は今よりずっと自由で、西洋的抑圧倫理が流入する今の時点から過去を眺めることがいかに視野を狭めるかということである。

特に面白いのは文学作品にからんだ2つのエピソードである。元禄末期、庶民の話題をさらったのは、近松門左衛門の『曽根崎心中』であった。これは町人と遊女の悲恋の末の心中物語であるが、浄瑠璃芝居として上演された本作品、大当たりを取り、その後長らく、江戸から上方にかけて心中が流行する。幕府により何度も心中を禁ずる布告を発したくらいである。これはまるでテレビドラマの影響でファッションが広まるかの如しである。文庫版巻末にある山崎正和と丸谷才一の解説的対談がなかなか秀逸である。
山崎 そうです。心中する当人たちも、明日は自分たちがどう評定されるであろうかと案じて死んでゆく。つまり観客の目を意識して死んでいくわけですね。 
丸谷 元禄時代の、少なくとも上方で心中する男女は、こういう風に死ねば近松j門左衛門は書いてくれるんじゃないか、という期待をいだいて心中したような気がします。(p.261)
浄瑠璃なり歌舞伎なりの文化的メディアが人々の生活様式や心理に影響を及ぼす。もちろんそこには鶏と卵の関係があるが、それにしても実に現代的ではないか。我々日本人は1700年ころからこういう感じだったのである。

一方で、赤穂浪士討ち入り事件については、著者文左衛門の筆致に特に興奮は見られない。あまたある他の事件と同列に淡々と事実を記しているのみである。江戸城下、町民の熱狂で迎えられた、というような話はおそらく事実ではなく、『仮名手本忠臣蔵』以降に、人々の中でイメージが膨らまされた結果であろう。それは文左衛門の死後、半世紀ほど後のことである。しかし逆に言えば忠臣蔵もまた、メディアがむしろ事実を誘導するという実例になっているということである。

なお、文左衛門の日記自体は面白いのだが、解説書としては、ところどころ手を抜いたか、原文をそのまま貼り付けている箇所が多くあり、もうちょっと物語風に消化した上で提示した方が読みやすかったかもしれない。しかし日本といういう国が、昔から結構面白いところだったという事実が分かる本。現代のインテリゲンチャ必読の本。


元禄御畳奉行の日記 (中公文庫)

  • 神坂 次郎 (著)
  • 文庫: 274ページ
  • 出版社: 中央公論新社; 改版 (2008/09)
  • ISBN-10: 4122050499
  • ISBN-13: 978-4122050495
  • 発売日: 2008/09
  • 商品の寸法: 15.2 x 10.6 x 1.6 cm

2011年11月14日月曜日

「世界をより良いものへと変えていく」

米国IBMが創立100周年を記念して出版した "Making the World Work Better: The Ideas That Shaped a Century and a Company" という本の邦訳。3名のジャーナリストによる3部構成であり、第1部がコンピュータの発展史、第2部が企業経営の現代的あり方についての考察、第3部がSmarter Planetに向けた未来へのアジェンダと言ったところだ。2011年11月現在、空前の好業績を謳歌するこの国際企業が最近提唱しているSmarter Planetのコンセプトを、おそらく最も詳しく解説しているという点で、本書は一読の価値があるかもしれない。

第1部 "Pioneering the science of Information" はいわば、後段のビジョンを語る上で自分にその資格があると主張するための自己紹介である。入力装置、記憶装置、演算装置に分けてハードウェアの進歩がまとめられ、次いで、ロジック、ネットワーク、アーキテクチャと上位層での進歩の歴史が概観される。周知の通り、バーコードハードディスクドライブDRAMRISCFORTRAN関係データベースSQLSNAなどの今でもおなじみの技術はIBMで開発された。実はコンピュータ時代以前でさえ、IBMのセレクトリックタイプライターはオフィスにおける高級事務機の代表格であったし、言わずと知れたIBM PCは、パーソナルコンピューターという存在を、趣味の道具から仕事の道具に高める上で、決定的な役割を果たした。その他、高温超伝導DeepBlueなどの先端的な話題も加えると、客観的に見てIBMの歴史がコンピュータの歴史そのものであることがよく分かる。

第2部 "Reinventing the modern corporation" はIBMの企業経営の考え方そのものの紹介と言える。章立ては次の通りだ。
  • The Intentional Creation of Culture(企業理念の形成と実践)
  • Creating Economic Value from Knowledge(知識を利益に結びつける)
  • Becoming Global(国際企業への道)
  • How Organizations Engage with Society(企業は社会とどう関わるか)
特に興味深いのが2番目の章である。これを執筆したスティーブ・ハムは、情報を利益に変える仕方が、社会の変化により根本的に変化してきたと述べる(p.171-173)。すなわち、情報を蓄積し共有するための社会基盤が整備されたことにより、知識を利益に変える速度と多様性が圧倒的に上がり、そしてそれは、情報の占有よりも共有によって課題を見出し、速やかにそれを解決するというスタイルの研究開発を必要としていると説く。情報の共有を意味あるものにするためには、個としての戦略と意志が確立していることが必要である。IBMが採用してきた多様な企業戦略は、閉塞状態にある日本社会に何か示唆を与えるかもしれない。

この議論の延長線上に、第3部 ”Making the World Work Better” で未来へ向けたアジェンダが提示される。これは要するにSmarter Planetのビジョンそのものといってよく、本の題名そのものとなっていることからも分かるとおり、本書の中心となる部分である。

第3部の執筆者ジェフリー・M・オブライアンによれば、IBMがこれまでしてきたことは、結局、社会がうまく回るようにするための仕組みを提供してきたということである。彼は言う。
Making the world work better is about untangling and managing complexity. Doing so ---  whether to transform industries, markets, societies or nature ---  requires serious science. But curiosity and experimentation aren’t enough. Solving systemic problems also requires a particular combination of vaulting ambition and profound humility --- the level of ambition to tackle seemingly unsolvable problems and enough humility to recognize that no single entity can make the world work better and no single entity can control a complex system. What we’re really talking about here is progress, which by definition is communal. (原著p.250)  
世界がうまく回るようにするということは、複雑さを解きほぐして手に負える状態にしておくということである。産業や市場、社会、あるいは自然 ── 対象が何であれ、それを行うためには本格的な科学的知識が必要である。思い付きをとりあえず試してみるというやり方では不十分であり、系全体の問題を相手にするためには、身の程知らずの勇気と、心からの謙虚さの双方を微妙なバランスで両立させなければならない。すなわち、一見解けそうにない問題に一歩を踏み出す勇気と、ひとつの存在がこの複雑な世界を変革し制御するなどということがありえないということを知る謙虚さである。我々が今語ろうとしているのは、社会全体の進化ということである。(筆者訳) 

これは的確な指摘と言ってよい。本質的には我々は、いわゆるIT革命の次に来るべき社会変革について論じているのだ。そのために何が必要か。オブライアンは、その象徴として、マイク・メイという人物のエピソードを使っている。メイは、3歳の時に事故で失明した。その後43年もの間、彼は暗闇の中で過ごしたのだが、医学の進歩により46歳にして光を取り戻した。しかしそれは必ずしも単純なハッピーエンドの物語ではない。今メイは、目から入る情報の奔流と格闘している。それは我々が今おかれた状況と似ているとオブライアンは考える。情報技術の進歩とセンシング技術の進歩が、いまやありとあらゆるデータの観測と蓄積を可能にした。この情報の奔流を使いこなすことで、何かより無駄がなく、より安全で暮らしやすい社会が実現できると期待できる。こう考えた時、我々に必要なのは、データを解析する能力そのものである。

オブライアンは、そこに至るプロセスを、Seeing-Mapping-Understanding-Believing-Actingという5段階で整理している。現象を観測し、それを記述し、それに基づいて何かいくつかの仮説を考え、その中から確からしいものを選び出し、そして行動する、ということである。あえて訳せば、観測、記述、理解、受容、行動、とでもなろうか(邦訳ではそれぞれ、観察、マッピング、理解、信じること、行動)。興味深いことに、同様の議論は、最近、数理解析技術の専門家の側からも行われている。たとえば、IBM研究部門の数理科学部門のリーダーBrenda Dietrichらの論文では、同様な段階論が、descriptive-predictive-prescriptiveという言葉で述べられている*。これは、過去の現象を記述する段階、未来を予測するモデルを立てる段階、そして未来に対する行動を最適化する段階、の順に、情報の解析技術は発展してゆく、という主張である。
*"An IBM view of the structured data analytics landscape: descriptive, predictive and prescriptive analytics," Irv Lustig, Brenda Dietrich, Christer Johnson and Christopher Dziekan, Analytics, Nov/Dec 2010, pp.11-18.

複雑系それ自体の解析が簡単であるはずはないが、知識ないしデータを価値に変えるための技術としての数理解析技術が解くべき具体的な問題は、ビジネスの現場に無数にある。本書を通して、かつてはいわば physical layer の覇者であったIBMが、いかにその興味の対象をスタックの上位に移してきたかがよく分かる。それは言い換えると、高度な技術がその高度さに見合う見返りを得られる「フェアな」領域が、より上位層に移っているということである。Smarter Planetとは、その遷移を歴史的必然と見た時のビジネス戦略に他ならない。


追記。蛇足であるが、本書邦訳について多少コメントしておきたい。奥付から察するに、本書は、英語版が作られた後に、業者に翻訳させ、それを会社関係者がチェックする形で作られたのではないかと思う。翻訳の質は悪くない。多くの場合意味は通じる。ただ、内容の専門性の高さがゆえ、なかなか難しい箇所も散見される。たとえば目次において、IntentionalをInternationalと誤読しているのはちょっとまずい。また、第3部のSeeing-Mapping-Understanding-Believing-Actingのリズミカルな調子が、訳語では失われているのも残念だ。数学用語が意味不明になっている箇所も散見される。たとえば、「二次方程式の平方根(p.73)」とか、「長い、平らなテール(p.139) 」とか、「人間の定理(p.149) 」などである。読み手に幅広く深い知識を要求する本だからして、それこそ Collective Intelligence(p.186)により、改訂版を出すなどしても面白いと思う。


世界をより良いものへと変えていく ~世紀とその企業を作り上げた大志~
  • スティーブ・ハム (著), ケビン・メイニー (著), ジェフリー・M・オブライアン (著)
  • 単行本(ソフトカバー): 350ページ
  • 出版社: ピアソン桐原 (2011/10/20)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4864010684
  • ISBN-13: 978-4864010689
  • 発売日: 2011/10/20
  • 商品の寸法: 23.2 x 16.8 x 2.4 cm

2011年11月10日木曜日

「論文捏造」

2000年からのおよそ2年間、主に有機物超伝導という分野で、米国の名門研究機関ベル研究所に勤める若いドイツ人物理学者が、次々に画期的な成果を発表した。その着想にあらゆる物理学者は舌を巻き、ノーベル賞受賞も時間の問題とされていた。しかし、すべては捏造であった。2003年までに、Science、Nature、Physical Review、Applied Physics Letters、Advanced Materials という一流学術誌は合計28本にものぼる論文の取り下げを発表した。

本書は、その経緯を詳細に取材したNHKのドキュメンタリー番組の書籍版である。取材は徹底的かつ詳細、重要人物はほぼ全部網羅されており、その番組が、国際的な数々の賞に輝いたというのもうなづける。

現代の物理学の研究は、大きく素粒子と物性に分かれており、それぞれの中で理論と実験に分かれている。本書の主人公 ヘンドリック・シェーンは、物性領域の実験物理学者という位置づけになる。実験物理学者の研究の目的は、第一には、いかに新しい現象を発見するかにあるといってよい。それにはストーリーが必要である。絶対零度近傍で電気抵抗がゼロになるというストーリーは、分かりやすさといい現象の華々しさといい、20世紀の物理学を代表するものである。本書の主たる主題として取り上げられるシェーンのストーリーは、有機物と超伝導、それにエレクトロニクス技術の精華であるトランジスタを絡ませた壮大なもので(p.50)、その壮大さにおいて、彼は間違いなく天才であった。悲劇は、シェーンが、実験技術の天才ではなかったという点にあった。

実は私は2000年にシェーンの論文を(捏造と知らずに)読んだことがある。確かフラーレンで高温超伝導を達成したというのがその内容で、当時は銅酸化物特有の電子構造が、高温超伝導の原因であると信じられていたから、非常に新鮮な内容だったと思う。実験家でなかった私には、その論文の結果を疑う理由などなかった。しかし結局、私がその論文を読んで間もなく、何人かの研究者によりシェーンの論文にグラフの使い回しがあることが指摘される。すぐさま2002年5月にベル研に第3者調査委員会が作られ、4ヵ月後、その報告書が出たその日に、シェーンは解雇された。

この経緯を知った私の感想は、コミュニティの自浄作用が有効に働いた、というものである。超一流の超伝導研究者Bertram Batlogg率いる、これまた超一流の研究機関と目されるベル研の研究チームによるまばゆいばかりの成果。それがわずか1年と少々で、研究者の手により覆されたのである。世の中に不正というべき事柄は無数にあるが、通常の論文出版サイクルが数ヶ月を要することを思えば、この迅速な自浄作用は驚嘆に値する。

「夢の終わりに」と題する本書第9章は、捏造をなぜ防げなかったのかという観点からの著者村松氏の考察が記されている。上記の通り、客観的には、このスキャンダルは、学会の自浄作用により解決されたと言わざるを得ないのだが、著者は、「科学の『変容』と科学界の『構造的問題』」という、いかにもジャーナリスト的な問題提起をしたかったように思える。しかし羅列的なその考察の内容は、彼の緻密な取材振りと比べた時、ほとんど物悲しいほどである。ざっと並べると、彼はこのようなことを述べている。
  • NatureやScienceといった超一流ジャーナルでさえ記事の正確さを保証しはしない
  • 学会には間違いを許容する風土がある
  • 専門論文の不正の立証は簡単ではない
  • 専門領域は細分化している
  • 巨大科学の時代では持てる者が有利になる
  • 経済的利潤と結びつくと特許など異質な要素が入り込み、それが秘密主義を誘発する
  • 国家の後押しや、アメリカ的な競争社会が研究者に過剰なプレッシャーを与える
  • 内部告発の系統的な仕組みが不足している
  • 共同研究者の責任が曖昧である

いったいどうしろと言うのだろう?これがこの章を読んだ感想であった。NatureやScienceが真実性を保証しないのは、NHKが報道内容の真実性を保証しないのと同様であろう。裁判で報道機関はよく主張するではないか。「そう信ずべき相当の理由があった」と。他の論点も同様である。間違いを絶対に認めない学会が望ましいのだろうか?  専門分野の細分化を「禁止」すれば、経済活動や国家と無関係に学会が存在すれば、内部告発の仕組みを整えれば、共同研究者の責任を明確にすれば、今回の事件の発覚は早まっただろうか?

図らずも本書は、日本の報道産業のメンタリティの限界を明示しているように思える。研究にはリスクがある。これからやろうとしていることが意味がないかもしれない、今後何ヶ月か何年かの労力が無駄になるかもしれない、という恐怖に耐えて研究者たちは前に進むのである。したがって、注意深い査読を経て出版された論文の中に、そういうリスクの欠片が残っていることはむしろ自然であろう。研究の評価が定まってから、すなわち、時間と共にリスクが洗い流された時点から、居丈高に関係者の非をあげつらうのは卑怯というものである。

リスクがあるという意味では、報道も研究も同じはずであるのに、このような論旨不明瞭な考察しか残されていないという事実に、日本のマスメディアの深い闇が見えると言わざるをを得ない。


論文捏造 (中公新書ラクレ)
  • 村松 秀 (著)
  • 新書: 333ページ
  • 出版社: 中央公論新社 (2006/09)
  • ISBN-10: 4121502264
  • ISBN-13: 978-4121502261
  • 発売日: 2006/09
  • 商品の寸法: 17.2 x 11 x 1.6 cm