2010年9月12日日曜日

「戦艦武蔵ノート」

終戦から20年経った1960年代に、史上最大空前絶後の巨大戦艦・武蔵の建造から沈没までをたどった取材記録。三菱重工関係者へのインタビューなどをもとに、類書にない貴重な情報を多数引き出しており、この巨大戦艦に興味を持つ人ならおそらく必読である。

本書は、当時のベストセラー小説であった『戦艦武蔵』という小説の取材記録を時系列的にまとめたものとしての位置づけで、たとえば著者が太宰治賞を受賞したくだりなど、武蔵とは無関係の著者の生活にまつわるエピソードなども盛り込まれている。この点、ルポルタージュとしては散漫な印象を与えなくもないのだが、ほとんど異常とも言える誠実さをもって実行される圧倒的な取材記録の前には、誰しも頭を垂れざるを得ない。

本書の最大の特色は、敗戦後の時点から見たありがちな政治的解釈を徹底的に排している点であろう。本書冒頭はいきなり、いわゆる「進歩的文化人」の変わり身の早さを非難する部分から始まる。
過ぎ去った戦争について、多くの著名な人々が、口々に公の場で述べている。「戦争は軍部が引き起こした」「大衆は軍部にひきずられて戦争にかり立てられたのだ」等々...。それらも、おそらく本心からの声なのだろうが、私のこの眼でみた戦争は、まったく種類の異ったものにみえた。正直に言って、私は、それらの著名人の発言を、彼ら自身の保身のための卑劣の言葉と観じた。
嘘ついてやがら ── 私は、戦後最近に至るまでの胸の中でひそかにそんな言葉を吐き捨てるようにつぶやきつづけてきたのだ。(p.5-6)
そしてこの強い思いを原動力に、当時武蔵に関わったすべての人の情熱と献身を著者は描いてゆく。敗戦という大事件から自由に想像力を働かせることは容易なことではない。たとえば、同じく多数のインタビューに基づいてはいるが、日本軍=悪の組織、との後付けの政治的ストーリーで塗りつぶされた『沖縄住民虐殺 ─ 証言記録』と対比する時、本書の著者吉村氏の知的強靭さは特筆に価する。

よく知られているように、戦艦武蔵は、大鑑巨砲時代の最後の「作品」であった。しかもその建艦思想が時代遅れであることを証明したのが、大日本帝国連合艦隊の太平洋戦争初期の戦果であった(p.17)。いうなれば武蔵は大日本帝国滅亡の象徴と言える。そういう、武蔵の存在自体が帯びる悲劇性から容易に導かれるストーリーは、日本海軍は時代遅れの巨艦を作る計画を変更できないほど頑迷であり、技術者はその頑迷な軍部に強制されて酷使されたのであり、機密保持のためにさまざまな制約を強いられた三菱重工長崎造船所の周辺住民は特高の目におびえて抑圧されていたというものであろう。

しかし著者が何度も繰り返すように、敗戦まで、日本において戦争は悪ではなく、むしろ正論を通すための正当な行為であった。少なくとも圧倒的多数の国民はそう信じていた。だとすれば、勝負がついた時点から逆算して勝ち馬に乗って、見てきたようなことを書き連ねるような知的態度では見えないであろうドラマが、武蔵という悲劇の作品の周りにあるはずだ ── そう考える著者のセンスは鋭い。

戦艦武蔵が明白な戦略的失敗の所産だとの指摘すら、我々が戦後の時点から思うほど単純ではない。元造船少佐の福井静夫氏へのインタビュー記録は興味深い(p.177-)。

  • 日本海軍の用兵思想は世界でもっとも進んでいた
    • ドイツ海軍は大和、武蔵の18インチ砲より大きな20インチ砲を持つ戦艦の建造を計画していた。
    • アメリカ海軍も戦艦重視の思想を持っていた。
    • 日本海軍は、世界の趨勢に反して、戦艦よりも航空母艦を主と考えており、太平洋戦争開戦時点で、世界最強の航空母艦群を保有していた。
  • 日本海軍の砲撃術は列強の中で抜群に優れていた
    • 日露戦争の日本海海戦では、ロシア艦隊の命中率は2パーセント(6000メートル程度の距離)。一方日本海軍は3パーセント。
    • 第1次大戦のジュットランド海戦では、イギリス艦隊は3パーセント、ドイツ艦隊は5パーセント程度の命中率(8000から1万メートル)で、ドイツ海軍が格段に優秀であった。
    • 太平洋戦争開始時の日本海軍は、3万メートルの大距離で、戦艦金剛が26%もの命中率。比叡長門陸奥はそれよりさらに優れる。これは全世界の海軍の中で一段と群を抜いたもの。
  • 武蔵、大和の建造は、上記の事実から導かれる合理的戦略であった
    • アメリカ海軍の戦艦の射程距離は3万メートル。
    • 武蔵、大和の主砲は4万メートルで、しかも、砲撃の精度は圧倒的に日本海軍が優れる。

先進的な用兵思想と共に、海戦における砲撃精度は日本海軍の最大の強みのひとつであった。すでに世界最大の航空母艦群を持ち、しかも零式艦上戦闘機のような世界最大の航続距離を持つ戦闘機を豊富に保有していた日本海軍にとってみれば、武蔵、大和の建造により万全を期したというのが事実だったのではないか。この視点からすれば、硬直化した愚かな組織による愚かな判断、という武蔵に関するありがちな評価もまた変わってくる。日本海軍に誤算があったとすれば、大戦中にアメリカ軍が、レーダーVT信管などのエレクトロニクス兵器を成功裏に実戦投入したことであろう。それを開発するだけの産業の広がりは日本にはなかった。しかしそれは軍の失敗ではない。

歴史を学ぶことの意義が、未来への教訓を得ることだとすれば、当時の意思決定プロセスを正しく理解することは重要である。それは現時点での偏見に基づいて、いわば勝ち馬に乗った上で居丈高に敗者を非難することとは、ほとんど対極にある知的作業である。このことが、先の大戦のみならず、今に生きる我々のあらゆる意思決定に当てはまることに注意したい。たとえば企業の栄枯盛衰の歴史を語る際、現在の勝ち組企業の戦略をそのまま追認し、返す刀で競争相手を非難する論法は、ありとあらゆるところで目にする。そういう態度は、上記「進歩的文化人」の態度と同様、あまり知的な態度とは私には思われないのである。


戦艦武蔵ノート (岩波現代文庫)
  • 吉村 昭 (著) 
  • 文庫: 288ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2010/8/20)
  • ISBN-10: 4006021720
  • ISBN-13: 978-4006021726
  • 発売日: 2010/8/20
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.2 cm

2010年9月4日土曜日

「競争優位のイノベーション ― 組織変革と再生への実践ガイド」

企業が技術革新に追随して高い業績を保つためには、不断の組織変革が必須である、と説くビジネス書。本書の著者はコロンビアおよびスタンフォード大学のビジネススクールの教授で、組織論を専門とする。実地のコンサルティング経験も豊富なようである。原著 "Winning through Innovation" は1997年刊で、直ちに翻訳され、折からのMBAブームもあり、わが国においてもっとも売れたビジネス書のひとつとなった。

本書を、同じ年に書かれたクリステンセンの『イノベーションのジレンマ』と対比的に読むのはきわめて興味深い。『イノベーションのジレンマ』では、いくつかの業界における企業の栄枯盛衰を表す実証研究から、組織内部のプロセス変革により破壊的イノベーションに対応するのは基本的に不可能であるという結論を導いている。経営層が顧客のニーズを的確に経営判断に生かす能力があり、そして組織の意識決定プロセスがその決定を迅速に行動に移せる、というのは疑いなく優れた企業の特徴であるが、まさにこの特徴が、破壊的イノベーションへの対応を遅らせるというのである。生き延びたごく少数の企業は、内部変革ではなく、スピンアウトによる独立組織や半独立の内部組織という形で新しい市場に対応した。クリステンセンの本には、本書で説くような内部変革に成功した事例は出てこない。過去にほぼ存在しなかったためであろう。

にもかかわらず、本書では、イノベーションに追従できなかったのはまさにプロセス変革に問題があったためと考えて、「業績のギャップを認識しなさい」などの命題を繰り返す。だとすれば本書には、クリステンセンの見出しえなかった秘密のメカニズムが明らかにされているのだろうか? あるいは目から鱗が落ちるような画期的な処方箋が提示されているのだろうか?

本書の第4章では組織の望ましい問題解決プロセスが詳述されている。
  1. 担当部門の業績のギャップを特定し、変革の機会をどれだけ早めるかを明らかにする(p.75)
  2. 重要問題と業務プロセスを描く(p.77)
  3. 組織の整合性チェック(p.78)
  4. 解決策を考え、修正措置を講じる(p.84)
  5. 反応を確認し、結果から学びとる(p.87)

これ自体は、優れた組織であれば当然目指すべき内容であり、文句のつけようがない。実際、企業の幹部候補向けの多くの研修プログラムは、このようなプロセスを前提にしてさまざまなケーススタディを取り扱う。しかし問題は、クリステンセンが実証的に述べているように、破壊的イノベーションの前夜においては、真の意味で「担当部門の業績のギャップを特定」することなどできはしないということである。

面白いことに、著者タッシュマンとオーライリーもまた、破壊的イノベーションによるゲームのルールの劇的な変更についてよく認識している。
テクノロジー・サイクルの引き金になるのは、不連続的なテクノロジーの出現である。すなわち、珍しい、予測できない出来事が科学や工学の進歩によって引き起こされるのである(たとえば、時計のゼンマイが電池の取って代わられた例)。不連続的なテクノロジーの出現で、既存の漸進型イノベーションのパターンは断ち切られ、テクノロジーの動乱期、すなわちサイクルの第2段階(...)が訪れる。(p.196)

ここで「予測できない出来事」と彼らが言っていることに注目したい。もし予測できないのであれば、「担当部門の業績のギャップを特定」などできはしないのではないだろうか。実際、優れた経営で知られた過去の企業のほとんどが、予測せざる急速な事態の悪化がゆえに死に至ったのではないか。

もっともタッシュマンとオーライリーもそれに無自覚というわけではない。第7章で彼らは、不連続的な技術変革へ対処するための組織は、「両刀使いのできる組織」(p.203)であると説く。結局、クリステンセンと同様、スピンアウト型か半独立型の組織を称揚しているわけである。しかしこれは、内部的な改革は無駄だから、新しい技術に対応できる新しい組織を外に作りましょう、と主張しているに等しい。だとすれば、彼らがそれまで述べてきた、漸進的に自己改革するための方法論というのは無意味ということになりはしないだろうか。

彼らの組織論は結局のところ、不連続的なテクノロジーがまだ起きていない定常状態のマーケットの中でしか有効ではない。もちろん、何割かの企業は、そのような幸せに安定した市場の中でさえ、顧客の意向を汲み取るのに失敗しているから、その範囲では有効である。しかし本書のタイトルにある「競争優位のイノベーション」に対しては現実的有効性を持たぬ空理空論でしかない。

本書はさまざまな企業の管理職向けの研修教材として使われているはずである。しかし上述の通り、本書をいかに学習しても、将来の破壊的イノベーションに立ち向かう力は出てこない。むしろ、認識されたギャップを迅速に行動に移すためには社内のすり合わせを最適化せざるを得ず、内向きなマインドを醸成しがちであるという点で、有害なことすらあるだろう。はっきり言っておこう。本書を素朴に「古典」として持ち上げる教官がいるような研修は話半分に聞いたほうがいい。本書の受け売りをするコンサルタントも信用しないほうがいい。真に大切なのは、破壊的イノベーションを生み出すバイタリティと、その際にスピンアウト的起業を可能にする自由な空気を普段から醸成しておくことである。それに対する簡単な処方箋はまだないが、問題を解く鍵が、本書のような一見もっともらしい組織論の外にあることだけは確かだ。


競争優位のイノベーション ― 組織変革と再生への実践ガイド

  • マイケル・L・タッシュマン (著), チャールズ・A・オーライリーIII世 (著), 平野 和子 (翻訳) 
  • 単行本: 284ページ
  • 出版社: ダイヤモンド社 (1997/11)
  • ISBN-10: 4478372292
  • ISBN-13: 978-4478372296
  • 発売日: 1997/11
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.4 x 2.2 cm

2010年9月3日金曜日

「隷属への道」


社会主義──というよりは一般に「大きな政府」派の誤りを論じた本。本書はもともと1943年にファシズムとの戦いを意識して書かれ、冷戦真っただ中の1973年に今度は共産主義との戦いを意識して再版された。この経緯を知れば「隷属」という言葉に込められたメッセージも自ずと明らかであろう。

著者ハイエクは言わずと知れたノーベル経済学賞受賞者であるが、この本は著者自身が認めるように、「時流向けのパンフレット」(p.365)であり、経済学の本ではない。政治的信念の開陳の書と言うべきである。反社会主義的な改革を断行し、英国を復活させたマーガレット・サッチャーが本書をバイブルとしていたのは有名な話である。サッチャーの施策を想起するとき、本書の次の宣言は実に感慨深い。
経済的自由主義は、諸個人の活動を調和させる手段として、競争に代えてより劣った方法が採られることには、断固として反対する。競争以外の方法がなぜ劣っていると言えるのか。それは単に、競争はほとんどの状況で、われわれが知っている最も効率的な方法であるというだけではない。より重要なのは、競争こそ、政治権力の恣意的な介入や強制なしに諸個人の活動の相互調整が可能になる唯一の方法だからである。(p.42)

60年以上前の本であるが、ある程度理想主義的な政治家が陥りがちな思考パターンの誤りを明示しているという点で、価値は失われていない。いくつか見てゆこう。

  • 真の自由主義に「中庸の道」はない(p.48)
    • 市場における競争こそが、社会的資源の最適利用と、諸個人の活動の自由を保障する手段である。社会主義的計画は、競争とは異質のルールを持ち込まざるをえない。だから、「計画と競争は、『競争に対立する計画』ではなく、『競争のための計画』という形でしか、結び付かないのだ」。(p.49)
  • すべての価値を考慮することは人間にはできない(p.73)
    • 人々のニーズは多様であり、実質的には無限にある。それを把握した上で全経済システムを設計することは原理的に不可能である。
    • 不可能だとするならば、市場での競争と、それに付随する価格メカニズムにシステムの制御は任せるべきである。
  • 「結果の平等」は自由を破壊する(p.101)
    • 「異なった人々に客観的に平等な結果を与えるためには、人々に異なった扱いをしなければならない」(p.101)
    • 結局、すべての価値を考慮することが人間にできないのだとすれば、そのような異なった扱いは常に誤りに導く。だとすれば、「常に例外なく適用されるルール」としての競争のルールを作ることが我々のできる最善のことである。
  • 個人に理解しえない力こそが文明を成り立たせている(p.276)
    • 経済を動かすメカニズムは極めて複雑であり、個々人の理解を越えると考えるべきだ。その複雑さは何か将来解明されるようなものではなく、避けることができないものである。文明の本質とさえ言える。
    • したがって、自分の回りの部分情報に基づいて、不安な決断を下すという運命からは逃れられない。自由主義経済における市場メカニズムの中で生きることを受け入れなければならない。


社会主義の失敗が明らかになっている現在、社会設計に限って言えば、これらの点について合意を形成するのは、少なくともある一定程度の知性を持つ者の間であれば不可能ではないように思われる。しかし同様の思考パターンが誤りに導く例は他分野でも散見され、それを含めれば、いか本書が指摘する問題の根が深いかがわかる。

たとえば、中央集権的計画経済の誘惑との関連で言えば、池田信夫も指摘するように、初期の人工知能研究の歴史はその典型的な例であろう(『ハイエク 知識社会の自由主義』, PHP新書, p.81-83)。人工知能という語感の通り、初期の人工知能研究の目標は、人間の知識処理の方法を模擬することであった。直観的にはそれは、「○○ならば××」というようなルール(If-thenルール)をそれこそ無数に集め、そのルールを、入力された条件に応じて検索すればよいと思われる(いわゆる「エキスパートシステム」)。しかしそのようなアプローチはうまくいかなかった。事実をガートナーのレポートから引用しておこう。
1980年代後半に、エキスパート・システムなどの構築ブームが起きた。If-thenルールの集積で専門家の知識を表現するアプローチを採るOPSなどをベースとして実用システムの構築も行われたが、成功例の多くは限られた範囲の知識、つまり固定的なコンテクストが想定できるものであった。より柔軟に広範な問題に適用するために、メタ知識を表現管理できる開発ツール(KEE、ART等)も提供されたが、結局、表現された知識を、多様なコンテクストの下で利用できるまでには至らなかった。
(T. Asai, "ナレッジ・マップの陥穽," JEAS Research Note, Case Studies, JEAS-01-44 (July 25, 2001))

これは『隷属への道』の40年後の世界の話である。ここでも書かれているように、失敗の原因は、人間の知的活動の範囲を有限な範囲に押し込めることが難しいということである。我々は一見決まり切った日常を送っているように見えるが、どの1日として完全に同じものはない。エキスパートの判断もまたそういうものであり、エキスパートは頭の中で、異なるデータ同士の間に非常に洗練されたやり方で何か共通性を見出し、それをヒントに過去の事例を取捨選択して判断に使う。それは表面的には、If-thenルールの集積の検索と似ているように見えるが、実際に行われていることはそれとずいぶん違う。すべての過去の事象は、厳密な意味においてはそれぞれ何がしか異なる。個々の事象は独立ではありえないから、多体効果により、起こりえる事象の自由度はほとんど無限大となる。そのような無限の知識を蓄積しておくことは(たとえばハードディスクの容量が今の1万倍になっても)不可能であり、仮に蓄積できたとしても、当初人工知能研究者が想像したようなやり方で知識を利用することはできないだろう。結局のところ、人工知能の初期の失敗が示唆するのは、自由度が事実上無限大となる状況では、中央集権的な知識管理が原理的に不可能であるということである。

家族や企業といった小さい単位の集団で可能なことが、数百万数千万の単位の集団でも可能だと考える誤りは、この他にも枚挙にいとまがない。ソフトウェア工学における設計ポリシーのほとんども中央集権的発想で行われており、それがゆえ System of Systems への対応が今問題になりつつある。それは歴史的必然であり、ソフトウェア工学においても近い将来、社会主義的発想は打倒されることになろう。経済学的詳細を排しあえて一般向け政治的パンフレットとして書かれた本書は、さまざまな分野において、避けられる誤りを避けるために大きな示唆を与えてくれるように思われる。古い本であり、全文読み通すのは疲れるが、インテリゲンチャの基礎教養を与える本なのでぜひ手に取って頂きたい。


隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】

  • F.A. ハイエク (著), 西山 千明 (翻訳)
  • 単行本: 424ページ
  • 出版社: 春秋社; 新装版版 (2008/12/25)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4393621824
  • ISBN-13: 978-4393621820
  • 発売日: 2008/12/25
  • 商品の寸法: 19 x 13.2 x 3.2 cm

2010年9月2日木曜日

「I LOVE 過激派」

戦旗・共産主義者同盟という、今は事実上消滅してしまった左翼セクトに青春を捧げた女性の回想記。学生時代から消極的とはいえ自治会活動に参加することになり、その後、イケメンの男性活動家に惹かれるがまま、左翼セクトの支部の幹部にまでなってしまう。極左活動自体の退潮と人間関係のトラブルなどから、結局ボロボロになってセクトを去る。犯罪性があるから書けなかったのか、あるいは単に著者は半ば色仕掛けのオルグ要員だけだったためか、戦旗派が関与したテロ事件についてのきわどい情報は何もない。「共産趣味者」にはやや退屈かもしれない。

一生懸命、一心不乱。著者の気真面目ぶりは尋常ではない。まっとうに働いていればこの人は一流の仕事を為せたかもしれないのだが、幸か不幸か、絶滅危惧種の左翼セクトにハマってしまった。本書は系統としては、奥浩平『青春の墓標』とか高野悦子『二十歳の原点』と同様の「悲愴系」で、以前評した『ゲバルト時代』にあるようなオチャラケ要素が何もない。最後の方に出てくる心中のシーンはすごい。活動資金を作るべく事業を始め、それに失敗して借金を背負った元彼を助けようと、彼女に好意を持つ男たちに金を貢がせトラブルになり、一緒に死んでくれと首を絞められる。結局大事には至らなかったのだが、そういう、自らの善なる魂が周りを不幸にしてゆくエピソードがたくさんある。それを真に受けて読むと気が滅入るので、イタい女のアホアホ道中、みたいに笑い飛ばすのが、おそらく当事者たちにとっても幸せだろう。何しろ、この気真面目集団が青春を捧げた組織は消滅してしまっているのだ。すべてを喜劇と見てあげるのが思いやりというものだろう。

著者は、目の前の現実がかりそめの汚れた世界で、世界を覆う黒い霧のようなものを一挙に晴らす魔法のようなものが存在する、といつも信じているタイプのように見える。残念ながら著者の筆力は乏しく、しかも特に後半は編集者も手を抜いたようで文章もグダグダで、著者がなぜそのような感覚を持つにいたったのかという点は読者にはわからない。しかしそのようなことをまるで気にかけないかのように、文中の著者は疾走を続ける。しかしそれが強がりでも何でもなく、おそらく素のままの自分を書き連ねたというのが感じられ、不思議と読後感は悪くない。周りの男が彼女に巻き込まれていったのは、たぶん間違いなくこの素の一生懸命さが故であろう。これは文学にはならないが、悪いオトコにつかまりがちな女性たちとか、自己啓発セミナーにハマりがちな青年たちは、自分の姿を著者に重ねて感動することもできるだろう。

ただし言っておく。青春のすべてを捧げ、しかも自分ばかりか周りの人間まで運動に巻き込んだにしては、運動それ自体の理解が心もとない。その点において、いわゆる全共闘世代と共通の醜さを感ぜずにはいられない。著者にとっては「革命」は、黒い霧を一挙に晴らす情緒的な魔法なのかもしれないが、党派が消滅したという事実が示すように、客観的にはそれは無、それどころか悪であり、その悪に加担したという罪は一生消えない。当人にとっては美しき青春の思い出なのかもしれないが、彼女にオルグされ人生を狂わされた有為な青年たちには、悪を為したのである。それを忘れてはなならない。深刻に反省せよ。


I LOVE 過激派
  • 早見 慶子 (著)
  • 単行本: 276ページ
  • 出版社: 彩流社 (2007/09)
  • ISBN-10: 4779112893
  • ISBN-13: 978-4779112898
  • 発売日: 2007/09
  • 商品の寸法: 18.6 x 13 x 2.4 cm

「イノベーションのジレンマ ― 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」

市場での勝者がどのように生まれているかを、技術革新の不連続性に着目して実証的に説明する本。ビジネス書にありがちな主観的な断定、説教調の後付け的説明を徹底的に排し、ほとんど実験科学のようなスタイルで様々な結論を導く。理系研究者の読書に耐える稀有なビジネス書といえよう。ベストセラーとなった本だけにある意味侮っていたが、読んでみて反省した。

原著が出されたのはおよそ10年前のことだが、内容はまったく色褪せていない。むしろ出版がその時期だからこそ、過去のアップルの失敗にも率直な観察がなされており、勝ち馬に乗ってお追従を連ねるお手軽文筆業者の底の浅さを照射するという点でも面白い。

それはともかく、本書におけるもっと強烈なメッセージは、顧客第一主義は失敗する、というものである。持続的成長を遂げている企業の経営陣は優秀であり、市場すなわち既存顧客からの意見に直ちに耳を傾ける。しかし本書における数々の事例は、企業が失敗する場合、そういう「優秀な経営陣そのものが根本原因」(p.143)であることを教えている。

これはどういうことだろうか? 市場の声に耳を傾け、より利幅の大きい高性能・高品質の製品を開発することのどこがいけないのだろうか?

これを理解するために、実績ある企業の意思決定のパターンを見てみよう(p.77-84)。

  1. 技術的革新は、豊富な研究開発資源を持つ実績のある企業でなされることが多い。意欲ある技術者が試作品を作ることもあろう。
  2. 試作品や製品計画について既存顧客に意見を求める。破壊的革新のカテゴリに属するものに対する反応はたいてい鈍い。顧客自身も、現在のバリューネットの外に出るものに対する評価軸を持っていないからだ。
  3. その結果、実績ある企業は、技術開発の軸足を既存技術の延長線上に置く。それがビジネスを「右上の領域」、すなわち高収益領域に導くことは確実であるからである。
  4. 意欲ある一部の技術者がスピンアウトして新企業を作り、その破壊的技術を売る市場を見出す。その市場規模は既存市場と比べて桁違いに小さく、属するバリューネットも異なる。
  5. その新企業は新しい市場を掌握し、破壊的イノベーションの力で徐々に既存の上位市場を侵食し始める。5.25インチのハードディスクドライブが、メインフレームやミニコン用の大型ハードディスクドライブを駆逐していったように。
  6. この期に及んで、実績ある企業も新しい市場に参入を試みる。しかしすでに市場の多くの部分は、新規参入企業に持っていかれてしまった後である。収益は頭打ちになり、既存市場でのビジネスで肥大化した身体を維持することがてきず、急速に業績が悪化してゆく。

優秀な企業においては、現在のビジネスモデルに社内の判断基準が適合しているがゆえ、ある時期は高収益を上げ、企業の規模の成長してゆく。しかしそれがゆえに、まだ存在すらしない新市場に参入するのは困難となってゆく。

第4章にこのあたりの事情を面白おかしく解説したくだりがある。マーケティング部門の社員と技術部門の社員がそれぞれ、2階級上のマネージャーに新製品のアイディアを提案した。念頭に置かれているのはハードディスクドライブ(HDD)である。

マーケティング部門の社員は、既存製品を大容量化・高速化したものである。上級役員の質問に彼は如才なく答える。

  • どういう人がこれを買うだろうか
    • ワークステーション業界のある一分野全てです。この分野では、毎年、6億ドル以上がドライブに投資されています。今までの製品はそれほど大容量ではなかったので、この市場には手が届きませんでした。この製品なら参入できると思います。
  • このアイディアを潜在顧客に見せてみたのか
    • はい、先週カリフォルニアに行ってきました。各社ともできるだけ早くプロトタイプがほしいとのことで、設計までの猶予は9ヶ月でです。各社は現在の納入業者[競合他社X]と製品を開発中ですが、X社からうちに転職してきたばかりの者に聞いたところ、仕様を満たすのはかなりむつかしいようです。うちならやれると思います。
  • しかし技術者たちはできると言うだろうか。
    • ぎりぎりだというでしょうが、お分かりでしょう。やつらはいつもそう言うのです。
  • 利益率はどれくらいになるんだ
    • わくわくしますよ。現在のうちの工場で作れるとして、1MBあたりの価格をX社と同じで販売すれば、35%近いと思います。


一方、価格、サイズ、速度、容量、全てにおいて下回る新しいカテゴリの製品を技術者が考案しそれを新製品として提案したと想像してみよう。新しいカテゴリであるがゆえ、彼の答えは具体性を欠く。

  • どういう人がこれを買うだろうか
    • わかりませんが、どこかに市場はあるはずです。小型で安いものを求める人は必ずいますから。ファックスとかプリンターとかに使えるんじゃないかと思います。
  • このアイディアを潜在顧客に見せてみたのか
    • ええ、先日トレードショーに行ったとき、アイディアをスケッチして、今の顧客の一人に見せてみました。興味はあるが、どういう風に使えばいいかわからないと言っていました。現在、必要なものを全部入れるには270MBが必要ですが、これにそんな容量を詰め込むのは無理な話です...少なくとも、当面は。ですから、あの顧客の反応は驚くほどのことじゃありません。
  • ファックスのメーカーはどうだね。なんと言っていたんだ。
    • 分からない、といっています。興味はあるが、製品の規格案はもうできているし、その中でディスク・ドライブを使う予定はないと
  • このプロジェクトで利益が得られると思うかね
    • ええ、思います。もちろん、価格をいくらに設定するかによりますが

このやり取りを読めば明らかな通り、「既存ユーザーのニーズに的を絞ったプロジェクトは、かならず、存在しない市場向けに商品を開発する企画に勝つ」(p.127)。当然である。確実なリターンが望めるからだ。優秀な管理職であればあるほど、破壊的イノベーションにつながる決定からは逃げる傾向にある。

結局、実績のある企業においては、通常業務のプロセスの中で破壊的イノベーションをサポートすることはきわめて難しい。本書はそのための処方箋として、スピンアウト型の進出を勧めている。この成功例としてはQuantum社の3.5インチHDDの例と、IBMのPCの例を挙げている(第5章)。前者では、新カテゴリの製品であった3.5インチディスクの開発をスピンオフした別会社にやらせ、Quantum社本体は出資という形で関係を保った。市場がすっかり3.5インチに席巻されてしまった後は、その別会社の方が事実上本体を吸収する形で、新生Quantumは生き残った。IBMのPC事業では、本流事業から遠い西海岸で、大幅な自由度を持った独立な事業部が、メインフレーム事業との利害関係から離れてPC事業を成功させたのであった。

しかしこのモデルは、労働市場が最初から流動的なアメリカでは機能するだろうが、日本だと難しい。大企業を辞めて起業するリスクが高すぎるのである。本書において豊富なデータで論じられているあらゆる事例は、現在の日本の国際的企業の苦境の多くを説明するが、本書が提示する処方箋は、残念ながら日本では有効ではない。労働市場の流動化は企業の枠を超えた話である。政治のリーダーシップが望まれるが、散々指摘されているように、労働組合を支持母体として持つ民主党政権には改革の当事者能力はないであろう。

繰り返しておこう。「企業が破壊的技術を、現在の主流顧客のニーズに無理やり合わせようとするとほぼ間違いなく失敗する」(p.295)。主流顧客のニーズをサポートするための組織が、破壊的技術を排除するように設計されているからだ。才能ある人材をひきつける程度に実績ある企業においては、破壊的技術の目は先進的な技術者により社内ですでに知られていることが多い。スピンオフ型の事業展開を実現できるかどうかが、後の時代に名を残す経営者になれるかどうかの分かれ道である。


イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
  • クレイトン・クリステンセン (著), 伊豆原 弓 (翻訳), 玉田 俊平太
  • 単行本: 327ページ
  • 出版社: 翔泳社; 増補改訂版版 (2001/07)
  • ISBN-10: 4798100234
  • ISBN-13: 978-4798100234
  • 発売日: 2001/07
  • 商品の寸法: 19 x 13.2 x 2.8 cm