2009年12月29日火曜日

勝間和代「男とウソ」


今をときめく経済評論家・勝間和代氏の私生活上のトラブルを指摘した週刊文春のレポート。勝間和代は2度離婚しているが、最初の夫との離婚には実は自身の不貞が関係していること、親権を取った3人の子のうち長女が勝間を嫌って夫の元で暮らしていること、などが語られる。

売れっ子を叩くことで自分も名を売ろうという下心があるのかないのか、牽強付会な感のある悪意の筆致にはやや閉口せざるを得ない。しかし、彼女をまるで自己啓発セミナーのカリスマ教祖のように崇め奉る女性はどうやら百万人規模でいるようだから、この種の事実の指摘には意味があるといえるのかもしれない。当たり前だが、勝間和代も、ほかのすべての人間同様、不完全な存在である。追従者になるのもいいが、その「教祖」も生身の人間であることを常に認識すべきだ。

長女との関係において、勝間は大きな問題を抱えているようだ。長女が書いたというブログの文面は非常にどぎつい。

「お母さんと下の株と近所の神社に初詣に行った。母さんが肩に触れてきたのを、なんとなく身をよじったら、お母さんに泣かれた。」

「経済評論家のK氏の自宅が本日燃えて死亡
氏は出張中で、娘二人がベッデオに横たわる姿でまっくろこおげ!(略) K氏は悲しみを胸に1冊の小説を書き起こし、大ヒット! ノーベル文学賞と経済学賞を同時に受賞! 受賞した日にひと言。『人生に無駄な経験はありません 火事を起こした長女も浮かばれていることでしょう』」


この話に話題が及ぶと、勝間は目を真っ赤にして泣き出したという。長女は母親に素朴な共感を求めているだけのように思える。肯定も否定も、最適化も価値判断もしないただの情報共有。この記事にあるブログの引用がフェアなものだと仮定すればだが、女性特有なそういう心の動きに、勝間は比較的疎いのかもしれない。

その長女の父、つまり勝間の最初の夫は、結婚に際して、勝間の実家の工場に婿に入ることを条件とされたらしい。保育園の送迎も夫の役目だったようだから、いろいろ苦労もあったのだろう。マッキンゼーで激務に晒されていた時代の勝間とのすれ違いもあり、しかもこの元夫が金銭トラブルなどを引き起こしたため、結婚生活は破綻する。

主に勝間により進められた離婚処理は、有無を言わさぬくらいに手際よいものだったらしい。しかしその後、子供との交通権などの離婚条件の実行をめぐって事態は泥沼化する。離婚後まもなく勝間は新しいパートナーと同棲を始めた。しかしそれは、勝間自身の浮気に端を発するものであった。すなわち勝間は、離婚条件に重大な影響を与える自らの不法行為を隠すことで、離婚交渉を優位に進めたことになる。

それは卑劣と言えば卑劣なのだが、この、勝間に対して悪意あふれる記事を読んでも、私は特に勝間に対して悪感情を持つことはなかった。誰しも若い頃は不完全なものである。「できちゃった婚」は若すぎた二人の青春の蹉跌だったのだろうし、それが破綻する過程では、お互いがそれぞれの限界に応じて、卑劣と非難されうることをほとんど必ずするはずである。相手を一方的に責めることは、人間としての器の小ささを認めることである。

ちなみに、記事に出てくる元夫のブログも、長女のブログも、今では見ることができないようだ。この記事のような悪意を、彼らは想定していなかったのではないだろうか。わずかな不幸の兆候を第三者が拡大するのはよい趣味ではない。このような、一般人なら確実に名誉毀損となる記事が公に出回ってしまうとは、売れっ子もつらいものだ。これにめげず、勝間氏には今後ともいっそうがんばってもらいたい。


勝間和代「男とウソ」
  • 青沼陽一郎 著
  • 週刊文春 第52巻 第1号
  • 2010年1月7日発行
  • pp.218-221

2009年12月27日日曜日

「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」


著者は陸軍大学校を出て大本営情報課の若手参謀であった人物で、戦後は自衛隊に入り、情報戦のプロとして西ドイツ駐在武官などを歴任する。この回想記全体を通して、インテリジェンス(諜報活動)についての日本国の貧しい現実を、具体的事例を元に指摘している。先の大戦について書かれたものの中で出色の出来である。面白い。

著者はその情報解析能力から「マッカーサー参謀」と呼ばれていたそうである。米軍の行動を見事に予測し言い当てるからである。などと書くと、旧日本軍にも立派な情報解析部隊があったように聞こえるが事実は真逆である。信じがたいことに、昭和18年11月に至るまで、敵米軍の作戦・戦術研究を専門に行う部署は大本営にはなかったのだ(p.59)!

堀は上司の杉田一次大佐(当時大本営情報部英米課課長)のサポートを受けて米軍の戦術の研究を重ね、昭和19年9月に「敵軍戦法早わかり」というレポートを完成させ前線に配布する(p.152)。しかし時すでに遅しであった。

戦後堀は乞われて自衛隊に入り、諜報関係のプロとして活躍する。諜報と言ってもそのような専門部隊などはなく、基本的に公開されている情報を分析するだけである。西ドイツ駐在武官として活躍するが、帰国後、シビリアン・コントロールの名の下で機能不全となっている自衛隊の現実に絶望して、53歳にて自衛隊を辞した(p.326)。最近の田母神元空将をめぐる騒動などから見ると、堀のような本物が辞めざるをえないような自衛隊および日本国政府の悲惨な現実は、今に至るまでほとんど変わっていないようである。嘆かわしいことである。

不完全情報下での意志決定をより確実なものに近づけるための方法論、という意味では、インテリジェンスの事例を詳細に記した本書は第一級のビジネス書にもなりえる。鍵は想像力と創造力である。ビジネススクール流の「効率のよい」アプローチとは逆からのアプローチとして示唆が大きいのではないかと思う。



大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

  • 堀 栄三 (著)
  • 文庫: 348ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (1996/05)
  • ISBN-10: 4167274027
  • ISBN-13: 978-4167274023
  • 発売日: 1996/05

「内側から見た富士通 『成果主義』の崩壊」


1993年に始められた富士通のいわゆる「成果主義」の10年史。著者の城繁幸は東大法学部を出て富士通人事部に入り、この本を書くのとほぼ同時に退社してフリーとなる。本書は、関係者ならではの内部告発感にあふれる内容だが、私怨のようなものを抑え、なるべく客観的に理想的な人事制度とはいかなるものかについて考察しているように見える。歯切れのよい言葉の数々と相俟って、人事制度の事例研究としては上質なものと言えるだろう。ちなみに著者はこの本で有名人となり、その後人事コンサルタントとして引っ張りだこの存在である。著者と同世代の者としては、キャリアパスとして実にうらやましい。

さて、ここで言う「成果主義」とは、各人は検証可能な目標を年初に立て、年度末にその達成度に応じて査定を行い、査定の結果を報酬に連動させる、という仕組みのことである。タイトルにあるとおり著者は、具体的な出来事を交えて、富士通の成果主義は失敗であったと強く主張している。

ここで誤解してはいけないのは、著者はあくまで、業績と給与を連動させるという意味での成果主義は不可欠だと考えており、旧来の年功序列の制度に回帰せよとは言ってはいないことだ。当然である。本書Chapter 6で詳述されるように、もは日本の大企業では、かつてのような右肩上がりの成長は望むべくもなく、年功序列人事制度を維持することは経済原則からしてありえない。すなわち本書の主たる主張は、富士通の成果主義の失敗は、運用上の問題に起因する、というものだと考えてよい。

ではどこに運用上の問題があったのか。著者は、ひとつだけ挙げるとすれば富士通の人事部が腐敗していたからだ、と断定しているが(p.149)、富士通とまったく同じ制度を他の会社で実行したとしても、やはりうまくはいかなかったろう。本書に書かれたさまざまな制度的欠陥から察すると、本質的には、人間の評価を、自明に計算できるような評価指標に丸投げしたという点であろう。

本書でも繰り返し述べられているように、パソコンの販売員のような職務は別にして、各従業員の業績を定量化するのは一般には難しい。というより無理である。無理なのだが、ある集団の中では、貢献度の高い側とさほどでもない側の区別は確実にある。貢献度のような尺度があるとすれば、それは上位から下位に向けて滑らかな諧調をなし、簡単に層別できるようなものではない。しかしそれでも、何らかの区別を導入し、それを給与に連動させること、すなわち、はっきり言えば、貢献度の低い側に分類された従業員の給与を切り下げることは、低成長下の経営戦略においては避けがたい。

経済原則からしてそれが不可避だとするのなら、目標管理制度と対になった成果主義制度の本質は、「自分の報酬に対する納得感の醸成」という点にしかない。上位管理職は、自らの見識に基づいて、ある程度具体的な経営行動戦略を立て、それを目標として開示しなければならない。下位の管理職は、会社の方針を部署の方針に落とし込み、整合性ある形で部下に提示しなければならない。そうして末端の従業員は、部署の方針と会社の大方針を理解し、それを自己のアクションに落とし込む。そうして評価の段になれば、そのアクション自体の成否と、それがどのように上位レベルの戦略に貢献したかを主張することになろう。そこで売り上げなどの定量的な指標があれば交渉はやりやすいだろうし、ない場合でも、定性的に、自分がチームに不可欠な人材である旨主張することは可能なはずだ。

結局、目標管理というのは、会社の戦略を末端まで浸透させるためのツールと考えるべきであり、目標管理に基づく成果主義とは、評価に対し納得感を醸成し、翌年の動機付けにつなげるための仕組みに過ぎない。目標さえ立ててればあとは成果が自動的に計量できるというものであるはずはないのである。

著者も指摘しているように、成果主義は、管理職になることが双六でいえば「あがり」に対応しているかのような、旧い年功序列制度とはまったく相容れない。チームのマネジメント業務は、それ自体専門職のようなものとして扱うべきであって、必要があれば人材管理に携わり、なければ現場でスペシャリストとして働けばよい。

本書を読んで怪訝に思ったのは、ここに登場する人事部の人たちは、一流大学を出た頭脳明晰な文系エリートのはずであるにも関わらず、人間の評価というものに対する理解がきわめて未熟に見えるという点である。理系オタクだから人間対応がまずい、というのなら(マスコミ的図式として)まだわかるのだが、取り立てて専門性もなく、かといって、人間力も低い、というのではどうしようもないのではないか。

しかし思えば、東大法学部卒などと言っても、新卒入社時で大学受験から5年しか経っておらず、しかも多くの者は、大学時代を単なるモラトリアムとしてやり過ごす。だとすれば、自分の才能を世に問うて厳しい評価にさらされるというような経験をする機会は、入社前にも、入社して「人事官僚」となりおおせた後にも、結局ないのかもしれない。強いて言えば、入社前の受験戦争がそれだったのかもしれないが、定量的評価軸を他者に完全に預けた上での画一的点数競争は、人事部員が持つべき価値観にはむしろ有害であろう。

日本は法文上位社会らしいので、本書に書かれているような切ない出来事は、結構普遍的なのかもしれない。本書が描く内容が、現在日本を覆う閉塞感を突破するヒントになっていればいいのだが。



内側から見た富士通「成果主義」の崩壊
  • 城 繁幸 (著)
  • 単行本: 235ページ
  • 出版社: 光文社 (2004/7/23)
  • ISBN-10: 4334933394
  • ISBN-13: 978-4334933395
  • 発売日: 2004/7/23

2009年12月26日土曜日

「小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争」


終戦後30年間フィリピンの山中で任務としての戦闘を継続し、そして帰国した小野田元陸軍少尉の手記。氏の生い立ち、フィリピンにて残置諜者として遊撃戦の指導を命ぜられた経緯、米軍を迎撃する苦しい戦い、3名の部下とともに山に篭った経緯、そうして旧上官の谷口元少佐から作戦終了の命令を受けるまでが生き生きと描かれる。非常に面白い。

小野田氏の意志の力はすばらしい。30年の遊撃戦の日々は、彼のそれまでの言葉に一片の嘘もないことを証明している。これは瀬島龍三のように、来た球を巧みに打つタイプの人間ではとてもまねのできないことだ。小野田氏の行動の芯は中野学校にいた時から現在に至るまで少しもぶれてはいない。これは生半可なことではない。現代の偉人であると思う。

本件については、政治的な立場によって評価は両極端に分かれよう。評価しない側は、軍国主義への加担を指摘し、30年という歳月を単に狂信の一言で片付けるだろう。しかし本書を読めば、小野田隊は、故なく戦闘を継続したわけでも、行き場をなくして放浪していたわけでもないことがわかる。ルバング島で得られた情報を彼らなりに分析して、論理的な判断として作戦を継続したのだ。

谷口元少佐から作戦終了を告げられた小野田氏は、フィリピン空軍のランクード司令官の所に赴き、軍刀を差し出しつつ投降する。しかし司令官は「軍隊における忠誠の完全な手本」などと評し、その軍刀を小野田氏に返す。日露戦争における水師宮での会見を髣髴とさせるエピソードである。フィリピン国軍への投降は、むしろ、氏の意志の力の勝利を表す輝かしい出来事であるように思える。

自分の職務と言動に責任を持つこと。小野田氏の生き方はその究極形態である。そこには世の東西を問わぬ真理を見出すことができよう。英訳版が今も広く読まれているのもそのためであろう。日本人よ、内なる義に殉ずべし。現代日本では馬鹿と言われてしまうのだろうが、人生の最期に真に心の安定を得られるのは、私の周りにもうんざりするほど棲息するオポチュニストたちでは決してないと、私は思う。


小野田寛郎  わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))
  • 小野田 寛郎 (著)
  • 単行本: 262ページ
  • 出版社: 日本図書センター (1999/12)
  • ISBN-10: 4820557696
  • ISBN-13: 978-4820557692
  • 発売日: 1999/12
  • 商品の寸法: 19 x 13.4 x 2.6 cm

「瀬島龍三 参謀の昭和史」


現在話題を集めているテレビドラマ「不毛地帯」のモデルと言われている元大本営参謀・瀬島龍三についてのルポルタージュ。昭和62年に月刊『文芸春秋』誌に掲載された「瀬島龍三の研究」をベースに加筆修正したものである。著者にはかなりの調査費が与えられていたらしく、凡百の週刊誌的噂話集のようなものと異なり、自分以外にもスタッフを使いつつ、非常に丹念に証言を集めている。いくつかの主観的感想の部分は除外するとしても、調査報道としては非常にレベルが高い。

瀬島本人の言によれば、瀬島の人生は4つに大別される。ひとつは大本営参謀としての時期。2つ目は11年間のシベリア抑留。3つ目は伊藤忠商事に入社し会長にまで上りつめる時期。最後が、政府委員として第2臨調や臨教審で政府のブレーンとして活躍した時期である。抑留時代は別にしても、各時期において望みうる最高の成功を手に入れたこの瀬島という人物は多くの人の興味を引くはずである。山崎豊子のベストセラー「不毛地帯」のモデルとなればなおさらである。

最初に言っておくが、「不毛地帯」における主人公は、確かに瀬島と似た人生経歴をたどるが、その人物の実像は大きくドラマと異なる。著者が丹念に調べた事実から察するに、瀬島は、何か大枠が与えられた時にその中でのリソースの配分に力を発揮するタイプの人間であり、価値の大枠自体を提示できる人物ではない。だから瀬島は、瑣末なことは語るが本質は語らない、といった印象を著者に常に与えている。おそらくそれは何か狡猾な計算に基づくというよりは、瀬島の行動様式そのものなのであろう。

そしてその行動様式が時の権力者に愛され、瀬島は人生の各時期において、異様とも言える成功を収める。しかしその代償として、各期において虚実織り交ぜた噂が流布されている。本書はそのそれぞれについて詳細に調べ上げている。

大本営参謀時代の瀬島には、幻の台湾沖航空戦を否定する大本営情報課参謀・堀栄三の電報を握り潰し、結果としてそれがレイテ決戦の悲惨きわまる結果につながったという批判がある(堀については別稿参照)。これは堀本人その他複数の証言があり、事実のようである。しかし本書に詳述されているように、大本営というところは、ルーズベルト大統領から天皇陛下への親電の受信を、勝手な判断で15時間も遅延させることを是とするような組織である(p.110)。その独特の雰囲気の中では、情報の握り潰しなどは日常茶飯であったろう。それに仮にその電報がしかるべく処理されていたとしても、超好戦的な空気に満たされた大本営の奥の院たる作戦課の行動には大きな影響を与えなかったことだろう。

瀬島に関する噂でもっとも深刻に語られるのは、関東軍参謀として、日本将兵のシベリア抑留を認める密約をソ連と結んだというものである。その根拠の出所は、日本がソ連に和平の仲介を依頼した際の日本側のレジュメ(「対ソ和平交渉の要綱(案)」)にあった次の一節である(p.69)。

  • 海外にある軍隊は、...、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむことに同意す(第3項)。
  • 賠償として一部の労力を提供することには同意す(第4項イ項)。

そして、関東軍の武装解除の際、このような条件がソ連側に提示され、ソ連はいわば半合法的にシベリア抑留という歴史上まれにみる犯罪行為を行ったというのである。むろん瀬島は一介の参謀に過ぎず、国家を代表してこのような条件を提示する権限などないのだが、武装解除の交渉の現場に立ち会った当事者のうち長く存命していたのが瀬島だけだったため(p.72)、瀬島には真実の証言が強く求められた。しかしなぜか瀬島は、結局一切の証言をせずに鬼籍に入るのである。

これまで、その「密約疑惑」を確証する歴史的な事実は知られていない。そもそも、ハーグ陸戦協定は、捕虜の労役を認めており、捕虜として拘束された日本将兵が労役に供されること自体は異常なことではない。同協定の第6条には、「国家は将校を除く俘虜を階級、技能に応じ労務者として使役することができる」などとある。

問題は、戦争終結後11年にわたり、1割の人間が死ぬような過酷な環境で使役をする是非である。むろんそれを正当化する根拠など何もないし、ポツダム宣言にすら反している。したがって、素人なりに常識的に判断すれば、仮に、武装解除の過程で何らかの条件や手続きの提示があったとしても、その悲劇の責任のほぼすべてはソ連側にある。日本側で犯人探しをするのは了見が違うと思う。

このように、瀬島に関する非難の多くは、反軍・反日が知性の証のように思われていた戦後日本の悲しい心性に由来するものが多く、ほとんどの場合、瀬島としても黙殺するしか道はなかったろう。残念なことに本書の著者もそういう時代的制約から自由ではありえず、たとえば、日本ほどいい国はないと述べた瀬島の言葉を捉えて、それを「偏狭なナショナリズム」などと決めつけている(p.272)。それは無茶というものだ。

そういう批判の理不尽さを差し引いても、しかし、私はこの瀬島という人物を好きにはなれないだろうと感じた。個々の局面において、瀬島のマネジメント能力は一級品だったのだろう。社会的成功を遂げたところから見て、人間的魅力にも特筆すべきものはあったのだろう。しかし先に書いた通り、彼は我々に何も新たな価値を残しはしなかったように思える。本書で紹介される彼の言葉は弱く、ありきたりだ。おそらく、瀬島は来た球を器用に打ち返せる人であったが、決して球を投げ込む人ではなかった。瀬島はその時その時で善と信ずる行為をしようとしたように見える。しかし来た球を打つだけの人は、状況が変わるたびにその行動指針も変化せざるを得ない。ある人はそれを変節と言い、無責任と呼ぶだろう。そこには人間の不可避的な弱さがあり、それを責めるのは酷ではあるが、瀬島が手にした社会的権力を考えれば、言ってみれば超人的な首尾一貫性を求めたくなるのは仕方なかろう。この点において、著者による瀬島批判には基本的に同意するものである。


瀬島龍三  参謀の昭和史 (文春文庫)
  • 保阪 正康 (著)
  • 文庫: 302ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (1991/02)
  • ISBN-10: 4167494035
  • ISBN-13: 978-4167494032
  • 発売日: 1991/02